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百姓雑感日々如是我聞
 
アナと雪の女王 2014/12/29
 アナと雪の女王の歌を聞いておどろいた。オレの過去世のどこかの女の時代が蘇ってきた。
 それは裏切りとだまされどおしの人生だったようだ。
 しかしその苦悩の人生の中“ありのまま”という宝の言葉が、わたし(オレ)を救ったのであった。

 ありのままの姿見せるのよ
 ありのままの自分になるの

 ありのままで空へ風に乗って
 ありのままで飛び出してみるの

 悩んでたことが嘘みたいね
 二度と涙は流さないわ

 オレの悟りへの道は、ありのままがキーワードだった。
 そう、あれ以来泣いた事はないわと・・・・・前世の女の時代が蘇る。

 だからアナと雪の女王の歌はオレのいやワタシの懐かしい応援歌にきこえるのである。
 そのありのままが前回の雑感のメッセージ

 人間生きていれば色々な事がある。何時も等身大の自分でいよう。そして自分の喜怒哀楽の感情を大切にしてその出所を探ろう。そして明らかになったら自由自在な心で修正しよう。
につながるのである。

 このありのままの等身大で生きてゆくと、どんな問題も解決の道はどんどん開かれて来るので実に面白い!

 先日も高校の先生数人が見学にみえた。複合発酵で汚泥が消える。臭いが消える。元素が消える。と言うと、その中の生物の先生(50がらみのオンナ)いはく、きつい口調で“元素は消えない”ととりつくしまもない。
 それより何よりその先生先ずは女の身だしなみが欠落している。黒いジャンバーに頭は白髪まじりのボサボサでヤマンバを想像させるいでたちだった。いくら既婚者であっても女が色気を失ったらお終いである。生徒に教えるのは知識ばかりであるまい身だしなみに始まり礼儀作法もあるだろう又オレが忙しい中を雑木林でEMBC豚肉入れのいも鍋を作って歓迎したら皆ウマイ美味いと鍋の底まで平らげたのに他の先生たちは帰りに豚肉を買って帰ったがその先生は食うだけ食って何も買わずに“元素は消えない”の一言残して帰って行ったのである。

 そこでオレは仲介をとった先生に今度開設のあ・うん塾で、あの生物の先生に元素が消えないという講義をお願いしようと依頼したが、先生いわく、あの先生は怖い人で後で恐ろしい事になるからあきらめて下さいということで諦めたのだった。

 ただオレの心の中は、そうかあの先生はオレに重要なメッセージをもって来たんだ。オレに反面教師で知ったかぶりはいけない又身だしなみと礼儀作法を忘れてはいけないと言う、この雑感をかかせるための天の采配だつたのである。

<やはり時代の多くの人の共感を得る歌は、天のメッセージが秘められている事に気づくのである。>
 すす払い 2014/12/16
 今年も早12月半ば過ぎ、一年のすす払いをしなければならない時期である。生きていれば常に光と影、良いこと嫌な事に出会うものである。
 嫌とは女編に兼ねると書く。「嫌」の「兼」は2つ並ぶという意味で、女性があれこれ迷う様子から「うたがう」の意味だそうである。
 女は常にどんな男が良いか迷い、男は考えずに誰とでもやれれば良いと思うようである。
 オレもこの齢になるまで生きて来ると、多くの臭い女に出あって来たが今回の女はその臭さにかけては一級品の臭さであった。

  (オレが出したメルマガを見ての反応である。)
 
 柳田繁吉様
 あ・うんの会の会長にご就任されたそうで後のご活躍をお祈り致しております。
 高嶋博士は天才と 知る人ぞ知るですが、まだまだ認知度は低いのが現状だと思います。天下泰平や玉三ブログ るいネットや東海アマにあ・うんの会のことを記事にしてもらえばかなり状況は違うのではないでしょうか。
 賛同する人は多いと思いますよ。
 以下は私の個人的な考えですので ご気分を悪くされたらすみません。
 私は 福島の人は 除染を考えずに 移転すべきだと今は思います。
 国がやっていることは 人体実験です。土地を離れて 放射能から逃げるべきだと思うのです。農業や漁業をさせ 食べて応援とか 狂っています。関東も安全ではないことは承知しています。自分は長く生きたので 悔いはありませんがこれからの若い人達は 本当に気の毒だと思っております。
 現在 誰の目にも 景気が良いとは映るはずがなく皆 毎日の生活に疲弊しています。衆議院選挙が近いですが 総理大臣が変われば少しは何かが変わるのでしょうか。
 小沢さんに期待したいですけど ロス茶との関係を考えるとなんとも言えません。
 最後に 今月は少しですが余裕があるので本当に小額で申し訳なく思うのですが あ・うんの会の活動に協力したく思います。 
 振込先を教えていただければ そちらに振り込ませていただきます。
 よろしくお願い致します。

 長井

 (ロス茶とはアメリカのロスアンゼルス産のお茶かどんな味か?オレの近くは狭山茶の産地だちょっと苦い。博士の静岡は静岡茶の産地でやわらかで甘みがある。振込口座を連絡すると又メールが来た。)

 柳田繁吉 様
 こんにちは 再度メールをさせていただきました。昨日 あれから考えたのですがあ・うんの浄化槽(?)を柳田様が販売しているのでしたらその製品を売らんがために 活動していると感じる人がきっといると思われます。私も ちょっとだけ感じました。

(勿論売る為に活動している。世の中に広げるにはビジネスで広げるのが一番。日本から世界を変えようとするのにオレの個人資産など吹けば飛ぶようなもの、会をスタートさせて10月10日の月満ちて生まれ堕ちたる玉のような子供とはいかない。会員は皆持ち出しで活動しているし、オレがどうしているかは下記の担当の小野沢公認会計士の所へ行って調べて頂きたい。)

 震災の後 自分が寄付をしたお金がちゃんと被災者に届けられなかった現実に皆 疑い深くなっています。

(オレを詐欺師と疑っているのか?)

 でしたら ここはひとつ 柳田さんが自ら寄付という形で一台 あ・うんの浄化槽の設置を 無料で公募してみるのはどうでしょうか。公募から設置までの様子を 逐一柳田さんのHPで追っていき天下泰平 玉三ブログ 東海アマ るいネットにもど〜んと書いてもらう。
 高嶋博士のことも 大きく特集してもらう。すごい宣伝効果だと思います。そして 応募してきたところに設置して 相手が感動している様子(劇的ビフォアフターのように泣いてくれればベスト)を動画に撮りYou Tubeに投稿。これも 天下泰平ブログ等にUPしてもらう。できれば 玉三さんに同行してもらい彼の 金〇ナイトなどを 一緒にやってもらう。
 その様子も You Tubeに投稿 ブログにUPしてもらう。テネモスさんのように ネットで売る人が多数いてもいいと思います。初めは まず知ってもらうことが第一だと思います。
 ちゃんと福島に設置されることが確認できれば安心して協力する人が増えるでしょうしあ・うんの浄化槽を 自宅に取り付けたいと思う人も出てくると思います。勝手に色々と書いてしまいましたが
 ご気分を悪くされたら申し訳ありません。では お風邪などにお気をつけて ご活躍下さい。失礼致します。
 
 長井

(人と人との関係は他人には解らないもの、オレが博士に縁あり20年。事情も知らずに人の気持ちにいきなり土足で入り込む事は無礼だと想う。) 

  長井 様
 長井さんとは如何なる人かとメールの履歴を見ても宅配の履歴を見ても出て来ませんでした。
 複合発酵の現場を見学したり博士の講演を聞いたり又EMBCモルトなり私の奇跡の水などお使いの体験がありますか?
 質問なりご説明をしたいので、先ずは住所と電話番号をお知らせください。

 柳田繁吉

 
 柳田様
 あ 覚えてらっしゃらないのだ と ちょっとショックでした。私は柳田さんに 過去2度お目にかかっています。
 1度目は 昨年3月に柳田ファームに見学に伺い 肉と肥料を購入しました。
 その時に 初めて高嶋博士という方のことを柳田さんから伺い複合発行の装置や あ・うんのトイレ 雑木林の中にいるのかと思わせるお庭を拝見しました。2度目は 同じく昨年の4月に そちらにおじゃましてお庭のブランコに乗せていただき イルミナティーの話や 爬虫類人間や福島の原発事故の話などをいたしました。
帰りに 柳田さんから干し柿とハーブをいただいて帰りました。私はよく覚えておりますが 柳田さんは既にお忘れだったのですね。

 (余程印象に残らなかったのだと想う。爬虫類人間だの現実離れした話にはついていけなかったし、多分早くのお引き取りを願って干し柿とハーブをさしあげたのだと想う)

 今回 あ・うんの会の会長に就任されたことを 柳田さんからいただいたメールで知り 何かお力になれるかしらと思ったのですが 不必要だったようですね。
 大変失礼致しました。もうメールをすることはないと思いますので ご安心下さい。
寒波が次々にやってくるようです ご自愛ください。では お元気で

 長井

 
 長井 様
 貴女は病気です。
 単純な話、寄付をやると言ったり止めると言ったり、気持ちがなければメールを出さないで頂きたい。
 氷山の一角のガサネタをネットでかき集め東海アマがどうの玉蔵がどうの類ネットがどうのと勝手に“すごろくゲーム”を作りこうすれば簡単に“上がり”は自己陶酔者!余計なお世話!もうこれ以上かかわらないで下さい。

 柳田

 (来ないはずのメールが又来た)


 柳田様
 はい 承知致しました そのように致します。
 ただ 下の私のメールをよく読んで下さい。寄付をやめると書いてありますでしょうか?くだらない妄想のメールはもうしないという内容のつもりだったのですが。今日は月曜日 銀行は営業しています。これから教えていただいた口座に 寄付をしてこようと思っています。
 あ・うんの活動には賛同致します。私は別に病気ではありませんよ。それに もうかかわりは致しません ご心配なく。

 長井  

 
 長井 様
 貴女の寄付は御断りします。
送らないで下さい。

 柳田
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
後日談

長井さま
 
はじめまして。あ・うんの会の富田と申します。
先日来の柳田さんとのメールのやりとりを拝見しました。
お互い感情的になられているようなので、少し意見を述べさせていただきます。
このことは柳田さんも承知しております。
私は14年間高嶋博士の下で仕事をして、昨年の末で退社しました。
と言うのは、高嶋科学のすばらしさと可能性は十分理解できたのですが、今の高嶋博士の仕事のやり方では
せっかくの人類地球科学が世の中に普及できないと考えたからです。
高所からいろんなことを言っても世間一般から見たら理解されないのです。
在職中も柳田から常に相談を受け、博士との間に入り普及活動を応援してきました。
しかし、孤軍奮闘しても金ばかり出ていき大きな展開までは至りません。
それこそ、養豚業で儲けた金を高嶋科学にほとんどつぎ込んでしまったようです。
長年柳田さんと付き合ってきたので私にはわかります。
柳田さんの、どうしてもこの科学技術が必要なんだ、普及のためには民衆運動としての活動しか無い、との強い思いに共感し
博士の許可を得て柳田さんと二人であ・うんの会と合同会社あ・うんを作りました。
合同会社あ・うんから博士に対し、あ・うんの普及に伴いライセンス指導料や技術指導料を支払っています。
現在、博士の会社の経営は非常に厳しいので、あ・うんを復旧させれば経営にも協力できるのではないかと思っています。
今年はまだ11件の設置しかできていませんが、我々は一歩づつ確実にと思っていますので、別に焦ってはいません。
今年はいろいろな方達とご縁が出来ましたので、我々が正直に誠実にやっていれば自然と結果が出ると思っています。
ご縁を大切にと思っている中で長井さまとの話が出てきましたので、共存共栄共生を目指す者にとってこのままでは
良くないと思っています。
柳田さんの所には多くの方が見学に見え、柳田さんも養豚業や農業などの合間に対応しており忘れることが多いのです。
見学に見え共感して頂けるのは大変ありがたいのですが、すべてを覚えているわけではないので、ご縁があればまた連絡が来るだろうくらいしか
考えていません。普通の会社ではありえないことですが。
柳田さんは、今回ご寄附いただいたお金はお返しすると申しておりますが、一度私が長井さまに連絡をしてみるから
それで結論を出しましょうということにしています。
一度ご相談したいと思いますので、私にご連絡いただけないでしょうか。
よろしくお願いいたします。
 
あ・うんの会
富田 廣信
 

富田 廣信 様
 
メールをいただきありがとうございました。
私は全く感情的にはなっておりませんよ とっても冷静です。
私のメールからそのように感じられたのでしたら 申し訳ありません。
 
私は 除染活動とかされている団体には なるべく協力したいと思っています。
柳田ファームさんにおじゃましたのは 隣の市だったからです。
 
自分がうかつだったな と思ったのは
柳田さんに 勝手に自分の妄想をメールしたことです。
 
お会いした時 ご自分の大きな夢 みたいなことを語られておられたので
私お妄想も 「そう うまくいけばよいですね」と笑ってスルーしてくれる 
心の大きな方だと思い込んでいたからです。
 
ご気分を害されとしても しかたなかったな と反省しています。
 
私は柳田ファームさんのメルマガ会員ですから ときどきメールをいただいていました。 
福島での 細菌を使った除染の実験も拝見していました。
 
今回 続けて2回メールをいただき どうやら寄付を募っているようだったので 
ボーナスも出たし と 久しぶりにメールしてみただけです。
全くお忘れになっているとは 想像できませんでしたので。
 
それだけです。
 
柳田さんが感情的になられて 
受け取れないとおっしゃっているなら別に私はかまいません。
 
意地になって振り込んだのではなく 銀行から帰ってきたら
柳田さんからメールが来ていた ということで
既に 手遅れだった訳です。
 
でも 別に返していただかなくて結構です(怒っているわけではないですよ)
年末ですし 少しでも人(被災地の人)の役に立つことをしても良いかな と思います。
 
富田様には 大変お手数をお掛けし 申し訳なく思います。
 
結論としまして 長井は「返していただかなくて良い」と言っていた と
柳田さんにお伝え下さい。
 
それでも 「受け取れない」とおっしゃるのでしたら
 
その分のモルトでも 私の家に送って下さい。
 
では お二人とも お元気でお過ごし下さい。
 
長井皐月

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
富田さん

了解しました。
柳田が大きな心で感謝して頂きましょうと言っていました。(^^)・・・とメールして下さい。
追加○万円表示します。

柳田

人間生きていれば色々な事がある。何時も等身大の自分でいよう。そして自分の喜怒哀楽の感情を大切にしてその出所を探ろう。そして明らかになったら自由自在な心で修正しよう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 今回の事であ・うん基金設立の趣旨に対して説明の必要ありと判断しました。
 博士に縁あり20年私がどのような活動をしてきたかは関係者は解る事です。インターネットでエナジー水の無料配布をやったり、環境維新の会で複合発酵の普及活動もやりました。
 今回は博士と相談して本格的に普及するにはビジネス展開でなければならないとの結論であ・うんの会を始め、ビジネスなので法人を作る必要があり合同会社あ・うんも同時に立ち上げた次第です。
 あ・うん基金も素晴らしい考えだと思っています。例え千円でも百人が寄付すれば十万円すぐにあうん一台分になり、それを公開の基に設置場所を決めます。そしてその地を継続的に浄化します。
 お金での援助は無くなれば終わりますが、生命科学のあ・うんユニットは継続的に宇宙エナジーの清めの水を自然界へ投入ゆくのです。将にアニメナ風の谷のウシカの蒼き清浄の地を取り戻します。
 これほど素晴らしいお金の使い道はありません。クラウドファンデングの集金より解りやすく今の生命の危機の時代にこれ以上のものはありません。今後必ず世の中に受け入れられる事と確信しています。

 私達の同志に渋谷の駅から5分の所に事務所を開いている公認会計士小野沢肇さんがいます。http://www.bizup.jp/member/antore/prof.html
 彼があ・うんの税務と今後の基金の事はきちんとやって行きます。 

 ホームページを見ては、これは商売になるから係ろうと人が来ます。又今回の寄付もそうですが、心の無い人は自然にはじかれて行きます。
 私達は皆さんも含めた地球人類の為にやらせて頂いているのです。
 私を含め皆さんは近い将来必ず死ぬのです。どうぞ仲間になって素晴らしい仕事をやり、悔いのない人生にしようではありませんか。
 会長 2014/12/03
 オレはあ・うんの会の会長になった。
 オレは風采の上がらない男だから、人前に出るのはなるべく控えていた。会の縁の下の力持ちになって下支えしようと思っていた。それなりに展開して来たが・・・・・・まだまだなっていない。笛吹けど踊らずの仲良しクラブの範ちゅうである。

 こうなったらオレが自ら率先してやるしかないと決意した次第である。 目的達成には何と言っても情報であり、商売で言えば営業である。ホームページの内容の出来いかんにかかっている。
 そこでワードとかビルダーなど徹夜で習得した。やってみれば簡単至極、デジタルなどアナログでファジーな無限の生命科学からみたらオモチャのようなものである。
 今の若い奴らゲームにうつつを抜かし生命の無限性に波長を合わせられないのだろう。コピー貼り付けのパソコンばかりやっていたら、人生そのものがコピー貼り付けの人生になってしまう。 

 オレは常に実践と学びは車の両輪で、行動し具体化する事を常に心がけて来た。だからスタートは未熟かも知れないがそれを土台に進化すれば良いと考える。 ホームページ制作の上で大切な事は目的とそれを成就するためのスピリットである。
 数人の霊感のある人が柳田ファームのホームページからは光が出ていると言われたことがある。もしも本当に光が出ているのなら多分オレが正直で素直だからだろう。
 それはオレの信条“バカ丸出しの自由自在心とキラリ光る真実”が光つまり宇宙エナジーと共振共鳴するからだろう。故にスピリットでは遅れをとらないと自負している。 

 他のホームページみたいに政治・経済の情報も確かめもせず解ったような事を言ったり又宗教・スピリチュアルの見えない世界を組み合わせてアアダコウダの夢物語を言ったりの理屈遊びはやらない。
 オレのやっている事は具体的に、この物質世界の重大問題を解決する科学そのものであり、結果を出しているのであって正々堂々どこからでも来い!と言う心意気なのである。要は目的とその結果、そして何を残すかが明瞭なのである。 お互い意見を述べあうと何時しか本音が出て来るものである。

 あるデザインを仕事にしている人(女性)が、柳田ファームのホームページを絵画で言えば油絵だと又字が多すぎる言われた。つまり、ごたごたして解りづらいと言う事のようだった。
 この人はデザインだけでスピリットと目的を理解していないのだと思った。それらを含めてデザインの中に情報化出来ればこれは天才である。デザインは視覚に訴えるだけのもので入り口にすぎないのである。
 オレはもっと具体的に解りやすく言って下さいと言ったら、それを言ったら又手伝う様になるからと・・・?
 実はこの人は行きがかり上カタログ製作をやっていただいたのだが約束日を過ぎて何時まで経っても出来て来ないから、オレが電話して気合いを入れたのである。つまり、本心から手伝うのでなく良い子を演じただけだったのだろう。返事をしたのは良かったが実際苦痛になっていたのだろう。
 可哀そうに(@@)
みちづれ 2014/11/18

水にただよう 浮草に
おなじさだめと 指をさす
言葉少なに 目をうるませて
俺をみつめて うなづくおまえ
きめた きめた おまえとみちづれに

花の咲かない 浮草に
いつか 実のなる ときをまつ
寒い夜更けは お酒を買って
たまのおごりと はしゃぐ姿に
きめた きめた おまえとみちづれに

根なし明日なし 浮草に
月のしずくの やどるころ
夢の中でも この手をもとめ
さぐりあてれば 小さな寝息
きめた きめた おまえとみちづれに  

オレは人生一人花の咲かない浮草だ。何時まで待っても花の咲かない浮草に実のなる ときがくるわけがない。ならばならば・・・・
何時までも不条理な事が続くぐらいならばいっそ全て道連れにしようか・・全てを壊し土壌の肥やしにすれば、新たな命の芽吹きの助けになれる。

この世で花の咲かない浮草ほど強いものは無い。この世での幸せは無い人生だから、あの世で幸せを手にする為にこの世で生きている。だから、玉砕も道連れも平常心で行える。
破壊は新たな創造につながる。それは究極の愛でもある。他の生命の為に自ら死ぬ事は美しい。究極の美である。

根なし明日なし 実のならない浮草にも、月のしずくの やどる時があり、それがオレを思い止まらせる。

“みちづれ”は人生心歌である。人間その時々の心境に合った歌は励ましと癒しの効果がある。    
 風 2014/11/08  

 オレが雑感を日々書いている時は小さな風、間を空け書かない時は大きな風が吹いている。風は愛の清めだ吹くように吹けば良い。 

 良い事も嫌な事も風を感じているのは生きている証である。楽曲、千の風になっての歌詞の中、人間は死んだらお墓の中にはいない。千の風になってあの大きな空を舞うと言う。
 そうだ死んだら風そのものになるんだ。
 生きている時もある瞬間風になっている自分を感じる時がある。それは無心になっている時なのだろう。オレの言う無心とは一つの事に没頭し身体が勝手に動いているときであり、何とも言いようのない気持ち良さである。 

 風を形に現すと、あのナイキのロゴマークが合っている。勝利の 女神ニーケーの彫像の翼をモチーフにしたとものとされる。
 又オーストラリアのアボリジニが狩猟や儀式などに使っていたと言うブーメラン 何れも風を形にしたらあのように表現されるだろう。美しくも最高のグットデザインである。

 人の生業、つまり仕事の中で最も風を感じるのは百姓だろう。
 春は命の躍動を感じながら種を撒く時の希望の春風、夏の焼けつく猛暑の中の大地の熱風、実りの秋の充実した喜びの中のさわやかな風、冬の農作業から解放され大地の恵みをいただく囲炉裏の小さな炎が風を呼ぶ。

 人間も年月を重ねると風の心になる。風は神の表れだ。神は創造と破壊だ。
 その時が来たらオレは風になり、今まで築き上げて来たものをにっこり笑ってぶっ壊すだろう。破壊は究極の清めだ。
 前略 2014/10/25
(有)柳田ファーム
 柳田繁吉様

 前略、貴ホームページの如是我聞を熟読させて頂きました。内容が深く、多くの人に読んでもらいたいと思いました。
 残念ながら、何カ所か転換ミスが散見されますので、差し出がましく恐縮ですが、これから読まれる人たちのために手を加えられては如何かと思い、御参考までに添付させていただきます。

 早々         先生より26歳若い   ○○○○

 オレは何か幸せな気持ちになった。世の中にはこのような人がいるんだ。
 オレより26歳若いと言う事は、
 尋常高等小学校卒業のオレ101歳−26=75そうか75歳のお人からか、
 オレより大分お若いが75歳なら人生の酸いも甘いも噛み分けて人生を深く考える御歳だ。
 それにしても親切なお人で又オレの雑感を今年一年分全て印刷して間違い部分を赤色青色ペンで修正して送って来たのである。
 この人の御心に答えようと老骨にむち打ってその日の夜には修正してしまったのであった。
 
 その時、脳裏をかすめたのが、昔の名僧・高僧・偉人という人達の文章や書などは結構誤字脱字があり、書なども点が抜けているものとか結構あるものだと聞いた・・・別に他意がある訳では無い。
 有名人の本は結構プロのもの書きが、代筆で書く事が多いそうである。代筆屋をゴーストライターと言うそうである。そう言えば有名人のスピーチもゴーストライターが書いていることがほとんだそうである。だからと言って昔の名僧・高僧・偉人の書きものがゴーストライターが書いたものだったと言う事では無いだろう。
 あの有名なアメリカの若き大統領ケネデイの就任演説での「あなたの国があなたのために何ができるかを問うのではなく、あなたがあなたの国のために何ができるのかを問うてほしい」有名なこの演説も他人の作ったものだったのである。

 オレの雑感はオレが書いたものでゴーストライターが書いたものでは無い。一にも二にもspirit(スピリット)でそれさえあれば後は読む人が修正しながら読んでくれるだろうと想っての雑感である。
 それにしても意外と言うか文盲のこのオレが、むしろ間違い箇所か少なかった事には驚いた。不思議でしょうがない。又書いてあるものを読み直してみて何と内容のある文章だと感心して書いた本人が思わず引き込まれて読んでしまったのである。
 これは、ある日あの時に作文の神様がオレに憑いた(オレはそう信じている)からである。オレは嫌だいやだと言ったのだが只一言有無も言わさず 書け! あの時より始まった事なのであり、オレが書いているのか書かされているのか定かでないのである。

<もしも、この先オレの雑感が本になるならペンネームは複合発酵・柳田大明神にしよう。そう決めた!
 創造力 2014/10/20
 創造主がそう想ったらそうなった。将に空即是色、エネルギーが物質化する事である。
 人間も神の属性を持っているからそう想えばそうなる。
 しかし、しかし、人間は常に雑念がくるくる回り一点に想いを集中できない。 例えば想念でもってスペインのサグラダ・ファミリアを作ろうとすればとんでもない形になりガウディもビックリするだろう。
 日本一の電波塔スカイツリーを想念で作ろうとすれば、権力と金欲と性欲の欲望の都市東京、その下半身とも言える多彩な店舗の集まる東京下町、もし創造主が若者であれば、その有り余る性エネルギーにより創造の途中で想念の片隅でオチンチンをイメージしてしまったとしたら、それがそのまま具象化してしまい、頭頂部は亀の頭になってしまい、とんでもないグロテスクな天空にそそり立つスカイツリーになるだろう。

 オレは常に真面目に考えているのであり、一番理解しやすい表現を用いているのである。
 もっと身近な解りやすい例を挙げれば、男は常に権力意識と勝ち負けの想念に支配され相手に対して一日に何回バカヤローと言う想いが出るだろうか、又女は常に心にもないお世辞を一日に何度言うだろうか、それらが全て具象化されて相手に偽りの汚れた想念が知られれば、この世は常に争いの尽きない世界になってしまう。

 だから人間は波動の微妙な創造力の発揮できる世界に住まなくて幸いなのである。人間が進化して想念が整えば神通力など、あらゆる能力を発揮する事が出来るようになるし、素晴らしい真実のみの世界に住む事が出来るのである。やはり神は完全無欠の存在である。
 
 この世で目的を推進するのは意思力である。社会人としてのルールも守れず人と人との約束を守れない人は仕事も良い仕事は出来ないし、人生の目的も達成出来ないだろう。意思力以前の問題である。
 意思力があっても一つに集中し続ける事は、覚者つまり真理を体得した人以外は不可能である。覚者になれば無から有を生む事も可能である。
 我々凡人が創造力を発揮出来るのはこの波動の荒い物質世界のみ可能である。スカイツリーを造っている途中けしからん事を考えても具象化してグロテスクなものにならないから有り難いのである。
 我々俗人が創造力を発揮してまともな物を作るのはこの物質世界しか無いのである。

<オレはかなり意思は強い、したがって創造力はある方だと想う。しかし俗人にある雑念は人一倍ある。そのオレが複合発酵を推進するのは行動して形に現すからである。農場に豚の浄化プラントから始まり大自然水マシーンさらにあうんユニット今は地球維新あうん塾の学び舎を作った。形が出来れば中味がいやおうなくついてゆく、それと思考方法が一発逆転のホームランで無く、小さなヒットの積み重ね方式だから、これが物質界の創造の原理なのである。>
 不安と不動心 2014/10/18
 オレは生まれてもの想いついた頃、すでに人生の苦悩に悶々とした不安と絶望感さえ感じていた。余程光から遠い魂だったのだろう。だから希望の光を見ると食らいつくように前進するのである。ある意味あがきの人生とも言える。ホームページトップで感じさせるような高い理想に燃えた勇気あふれる魂では決して無い。 夢はその人の潜在意識から出て来ると言う。夢は自分を知る教科書でもある。

 何故か何時も高い所から真っ逆さまに落ちる夢を見る。トレッキングと言って断崖絶壁を命綱一本で登って行く、実際はテレビの画面で見るよりその迫力と恐怖は比べ物にならないほどである、高所恐怖症の人がトレッキングをやった時の心境は如何ほどだろうか。
 道を歩いていると平らな道の中央がだんだん盛り上がって来て、辺り一面暗くなり道路脇へすべって行く、するとその下は探い千尋の谷になっていて其処へ真っ逆さまに落ちてゆき、寝汗をかいて目が覚めるのである。
 又ある時は家へ帰ろうとするのであるが、その道が解らない。歩いて行くと道は狭くなりゴミが散らかっている。するとそのゴミが何時しか鋭いガラスの欠片になっているのである。
 解らないという不安が解るだろうか、先行きの見えない事ほどの苦しみは無い。広大無辺の暗い大地をとぼとぼ歩いて行く何処まで行っても何も無い尽きること無い迷いの道である。痛い苦しいの苦痛に勝るとも劣らない地獄である。
 地獄の閻魔大王の火責め水責めの刑より何倍も恐ろしくおぞましい想念の世界があるのである。ある時は、深い底無し井戸に真っ逆さまに落ちて行く、そこは毒蛇の住みかで無数のヘビがとぐろを巻いている。それはそのまま地獄である。 将に不安と地獄の日々である。

 人間とは如何なる者だろうか、不安があるから安心を求める。地獄があるから天国を求める。
 波動の荒い物質の肉体をまとった人間は怠惰になる。その怠惰の人間を動かす原動力は不安である。不安を克服して不動心をつかみ取るために今日も前へ進むのである。
 全ては神の仕組んだ完全完璧なシステムであり、マイナスと見えるものは人間進化への原動力なのである。
 楽あれば苦ある。苦あれば楽ある。この世の不安・悩み・苦しみは進化の原動力。だから楽と苦の二つが必要なのである。
 無為の行為  2014/10/15
 自己実現も世界平和も、各人の中に神を住まわせなければ成就しない。いや心の中にすでに、神が住んでいる事に気がつく事である。
 如何に不思議な事が好きでUFOだの宇宙人だの又アトランチスがどうのムウー大陸がどうのと言っても心に神がいなければ、欲得が全ての行動の規範となる。このような人は当たり触らず如才なく言動し、他人の事を想いやるふりはするが人などどうでもよいと想っている。
 この世を修めている法則に外れているから身の周りに不調和を、そこかしこに作りだしていくが当人は全く気がつかない。当然やる事為す事旨くいかず当人はオレは運が悪い男で、この世には神も仏もいないと想っているかのようでもある。見る人が見れば全てお見通しである。
 そのような人にも必ず救いのチャンスはあるが、気づかなければ機会を逃しもっともっと状況は悪くなる。これも神の愛で気づくまで痛い想いと地獄の底なし沼に沈んでゆく。
 白隠の言われた地獄の底板を打ち破ったら、そこは天国だったと言う事なのである。底板を破るのが気づきなのである。
 一方神も仏も愛も感謝も一切口にしないが行動そのものが愛そのものの人がいる。このような人は皆が寄って来て良くなるばかりである。
 自分の心の中が平和で調和して幸せかどうか当人が一番解っている事である。 このような事を言えるオレは地獄から這い上がり全て通って来た道だから、色々な境界の人々を理解出来るし全体が見えるのである。
 縁があると言う事は意味があり、相手に何等かのメッセージを投げかけなければならないのである。しかし何も言えないメッセージもあるのである。

 それは父親が癌で献身的な看護をした娘さんが何と父親を亡くして間もなく当人がステージ5の癌を宣告されてしまったのである。
 しばらくはメールで励ましのやり取りをしていたが、ある時からオレの言葉など届かないし、むしろ上面の欺瞞にさえ感じて来たのである。
 死を前にした人にどのような言葉を掛けて良いのか、むしろ言葉をかけずにいた方が良いと想ったのである。その方が人生と死を正面から受け止めて重大な気づきを起こす。その障害になってはならないと感じたのである。
 しかし、ある時気づいたオレは何時もその人を想いその人の天命が全うする事を祈っている自分を発見したのである。全くの無為の行為だった。
 オレの中に神を発見した瞬間でもあった。
 言葉の汚染 2014/10/09
 創造神の世界は愛と感謝さえも無い世界と言ったが、何時の頃からだったろうか愛と感謝の言葉は封印していた。それは、昔の壊れた蓄音器のように堂々巡りで愛と感謝の言葉を繰り返し繰り返し、うるさい程聞かされたからかも知れない。
 心の穴を埋めようと宗教スピリチュアルの道を求める人生だった時、そこへ集う人達の愛と感謝の言葉にうんざりしたからである。言葉だけの中味の無い欺瞞の愛と感謝だったからである。その時より言葉も汚染する事を知った。

 環境と言う言葉も何時の頃からだったか、空しく空回りして空虚な唱え言葉のようになっていった。環境を唱えながら金儲けに利用しようとしている環境汚染団体を幾度となく見て来た。政治家が福島を助けるを唱えごとにして、土建屋の利権に加担しての日本全国放射能汚染もその最たるものである。

 もう汚れた言葉はいらない別の言葉を探していた時、生命の本質とは?ある日閃いた!生命は光で、生き生きして幸せで喜びが一杯で、毎日が感動の日々で無ければ本物でないと悟った。
 これ程解りやすい事は無い将にセンサーそのものの働きもしている。愛と感謝も環境も、唱える言葉を聞いた瞬間、その中に真実や誠が感じられなければそれは偽りの欺瞞である。
 そうすると日々瞬間瞬間の想念意識が手に取るように見えて来て、自分自身が如何に否定的人間か気づいて来た。 次に生命の本質をこの物質世界で具体的に形に現さなければならない。意識だけでは忘れて消えて無くなるからである。宗教の最大の盲点は意識優先で物質世界に表せない所にある。心と物は車の両輪で双方が旨く噛みあってこそ進化につながるのである。だから具体的な事が大切なのである。

 愛と感謝を言うなら、その人がそのままを感じさせなければならない。そして愛と感謝の行為を自然に現さなければならない。本当に愛と感謝を身に付けた人は愛とか感謝など軽々に口にしないものである。愛と感謝無い人ほど多くの愛と感謝を唱える。
 環境も同じで具体的で誰でもやれる事でなければいけない。人間生きていれば毎日汚染物質を生産しているのであり、環境を言葉にする以前に人間の存在そのものが汚染と直結しているのである。生活そのものがいの一番の環境浄化の循環型生活をやらなければなければならないのである。
 その具体的方法が複合発酵あうんユニットなのである。言葉そのものに心技体備わって初めて“言葉は神なりき”となるのである。
 光の中の個としての永遠の生命 2014/10/06
 我々は創造神と言う大光明から別れた、一筋の光線の一つ一つ、それが人間だと言う。だから我々の中には神が住んでいるのであり、仏教で言う仏でもある訳である。
 その、我々人間がこの地上で悲喜こもごもの体験を通して、元の大光明に帰って行く。その大元に帰った時、個の意識は無くなるとある人が言った。
 そうだろうか、科学的な思考が身についた人はそう考える人が多いのだろうが、しかし、オレはそうは想わない。
 
 個の人間が大元に帰ったとしても個の意識は持ち続けると考える。
 自己意識が無くなればそれは、いわゆる一般の死と同じに消滅を意味する。自己意識への考え方だと想うが、意識も永遠に生きる意識と生きられない意識を想定する。
 科学的に波動を考えれば欲得の汚い波動は光の波動の中では焼き尽くされて消滅すると考える。いわゆる愛とか感謝とか慈悲とか言う想念意識は光の中でも存在し続けると考える。
 良く言う憑かれた憑依されたと言う事は、その人の想念の波長が合ったか、不安な想念ゆえに心を乗っ取られたと言う事だと考える。このような想念は地上という荒い想念波動の中での事だと想う。
 “小聖は山にこもり大聖は街中に潜む”と言う。聖者は多くの人生の体験を通して人間世界を知り、天に帰りそこから人々の救済を目指して、天下って来ると考える。つまり大光明と一つになっても個の意識を持ち続けると言う事である。
 いわゆる永遠の生命とは、我々が生まれ変わり死に変わりして光の想念になった時、初めて永遠の生命を獲得するのである。光の想念になるまで永遠に気づきの体験をくり返すのである。
 しかしこの地上だけが気づくチャンスの唯一の場だから今の人生得難い人生で今、この瞬間瞬間を無駄に過ごしてはならないのである。

 以下はオレの考える 天地創造

 この世はどこから生まれて来たか、大いなる意思が天と地に別れよと言ったらそうなった。昨近の科学者はビッグバンから始まったと言う。
 その創造活動以前の大光明世界とはどんなところだろうか、過去の聖賢は言う・・・天国も地獄も無い善も悪も無いと・・・
 オレはそれに加えて愛も感謝もない世界だと考える。有るのは創造神の退屈だけだったと・・・考えて見てほしい無限時間そこに止まっていたらおかしくなる気持ちが良く解る。オレなんか長雨で百姓仕事が出来ない時はおかしくなりそうになる。そして、退屈な想いがある限界に達した時、爆発してビッグバンとなったのである。
 そして自分の分身の人間達に人類滅亡か?はたまた地上天国実現か?の筋書きの無い夢芝居をさせて、創造神は高みの見物を決め込んだのである。
 一なるものが一なるままでは暇で暇で退屈で退屈でしょうが無い。そこで退屈しのぎの創造活動に入った。人間と言う自分に似せた愛と創造力の属性を持たせて、しかしそれだけでは面白くない。そこで愚かと言う要素を加えて人間達の繰り広げるおバカ芝居を上から見物していると考えたのである。

<オレの目的は複合発酵を世の中に広げて人類救済であるが、やはり人間の心を変えねばこの世を変える事は出来ない。するとどうしても宗教スピリチャルになってしまう(^^)>
 天国と地獄 2014/10/4
 真実は天国も地獄も無いのであるが、その人の想念のありようで天国も地獄も有るのである。死後も今生きているこの世も貴方の心一つで天国にも地獄にもなるのである。
 この地球物質世界は懸けがいの無い星であり、人間進化にはかかせない場なのである。何故かというとこの地球は聖者のような光の人もいれば鬼畜生にも劣る闇の人間もいるのである。だから貴方がどちらの人に近づくかで、貴方が影響を受けて進化も退化も自由に出来るから素晴らしい懸けがいの無い星なのである。
 荒い物質の肉体を持つのは、善人悪人悲喜こもごもの体験を通して進化する為に出会い交流して影響を与え会う事が出来るのである。
 死んだら肉体を脱ぎ去り波動の細やかな身体に変わる。その細やかな身体はエネルギー体で愚鈍な波動から微妙な波動まで、その人が生きて来た人生の想念行為で身に付けた波動と同じ波動の世界へ行くのである。

 だからこの世で人と常に争い傷つけあう人は同じ人が集まって来るからお互いが争い傷つけあってそこはそのまま地獄となるのである。又逆にこの世でお互い愛し合い助け合う人はその様な人ばかりが集まって出来る世界であるから、そこはそのまま天国と化するのである。天国地獄だけでなくその間のあらゆる想念の領域の無数の世界があるのである。
 天国へ行くか地獄へ行くかは今この生きている今、この瞬間が勝負のときであり、今貴方の回りを天国に変えればそのまま死んだら天国に住する事になるのである。

 だからオレは今、オレの住むこのファームをそのまま天国にしようと花を植え果樹を植え、あうんユニットの宇宙エナジーの液肥で大自然農法による奇跡の野菜を作っているのである。
 先だっては雑木林を花園にして、ついでに三途の川さえ作ってしまったのである。
 三途の川とは流れの速度が異なる三つの瀬があり、生前の業(ごう)によって「善人は橋」「軽罪の者は浅瀬」「重罪の者は流れの速い深み」を渡ることから、「三つの道」の意味で「三途の川」や「三瀬川」と呼ばれるようになったといわれる。
 だからオレはファームの三途の川に立派な頑丈な丸太の橋を掛けたたのである。

<宗教の教えと言うものは求める人の心境により、教え方が違わなければ無理があり救われないのである。天国も地獄も無いは最高位の教えであり、天国も地獄もあるは初期段階の御利益信仰には必要である。一つの宗教に固執する必要は全くなくオレなんか柳田教を作っている最中である。>
 教え 2014/09/30
 宗教スピリチュアルでは種々考えがあるが、生きる上での根幹の考えで人生を決める決定打であるからこれほど重要な事は無い。
 その中の一つに、“人は生まれて来る時に今生での体験を選んで生まれて来る”と言う。
 真実かどうか証明する事は出来ないが直感では違うと想う。又この世は事実であり結果が全てである。するとその考えで私の知るところでは救われている人を知らない。むしろ問題を抱えている人が多いと言わざるを得ない。

 この考えでは全てこれで良いのだと肯定している事だから、人生を変えよう問題解決し進化しようとの行動に移れない。悶々と耐えて耐えて、私の人生暗かった怨歌の歌にあるような人生を生きる事になり他の人生を選択する事は出来ない。
 まあこれも忍耐力の養成の人生だったと言われれば、そうですかとしか答えようが無い。生命の本質は生き生きして楽しく喜び感動だとすれば本質から外れている事になる。
 選ぶと言うが私達は人生を選択するよりカルマの法則すなわち因縁因果の法則できりきり舞いの自業自得の迷盲の人生をくり返しているのではないか。選択などするキャパは無いと想う。
 昔のベストセラー前世の記憶の本より、80数回の人生記憶の内容の登場人物は全て同じ人であり、ある時は親子で別の人生では友人だったり人生で出あう人は全て過去の借りを返す為の人生なのである。我々愚人は借りを返さずにさらに借りを増やす人が圧倒的に多いのであると言う内容であり、真実なら将にカルマの法則が成り立ち、人生とは過去の人生の負債を返さなければならないと考えられる。

 只人生を選択できる人もいる。その人は聖者であり悟りの域に達した魂だけが人生を選ぶ事が出来ると想う。この人は多くの人生の中、多くの経験を積み多くの気づきを起こし聖者となったのである。
 聖者の喜びは迷える人を救う事だから自ら苦しみの娑婆に生まれて目的を推進するのである。科学的に言えば聖者の魂は大きく光り輝き純化しているからそのエネルギーのパワーも透明度もあるから想いのままに人生を選択出来るのだと想う。

 この世は修行の場だ体験の場だと言うのは詭弁であり自己弁護でしか無くその人生しか生きられないカルマの法則にほんろうされた人である。(オレもその一人である)
 アリ地獄のようにもがけばもがくほど深みにはまり永遠のアリ地獄となる可能性がある。
 真実の世界は天国も地獄も無い。従って修行も体験も必要がない。全ては貴方の想念が作り出すのである。今この瞬間全てないと魂で断じればそこは天国になるのである。
 アッ!天国も無かったんだっけ!(^^)  

<人がどんなに素晴らしい教えだと言っても、そこで立ち止まりこうつぶやいて頂きたい。「信ずる者はだまされる、確かめる者は救われる」・・・と此処で言う魂とは神意識を言うのだろう。だとすれば選択の許す事ではなく法則そのもので、外れた人は地獄へ蹴落としてでも気づかせようと言う人間の感情の入るすきは無い。だとすれば選ぶと言う表現には無理がある。>
 聖(ひじり)の書 2014/09/27
 歌は世につれ世は歌につれではないが、天の教えである聖の書も時代とともに変わらなければならない。
 分裂の科学技術の時代から、融合の生命科学の時代へと大きく舵をきる科学転換の時代が今である。その大きな役目が大和の国、日本に生まれた大調和高嶋科学「複合発酵」である。
 アニメ風の谷のナウシカに代表される宮崎駿の環境アニメから、奇跡のリンゴの木村さんの自然栽培、さらにロシアの森の妖精アナスタシアまで、全て神々を越えた天の創造主からのメッセージであり、刻々と変わる大宇宙は今も創造をし続けているのであり、その時々の教えを受け止めなければならないのである。
 旧態依然の過去の異物の宗教に固執しているから争いが絶えないのである。核の脅威による人類滅亡が何時起こるかの今日、弓槍の時代の宗教は弊害の方が多い。

 人生の最終目標は神になる事と・・柳田大明神目指しての日々雑感である。
 “百姓雑感日々如是我聞”は来るべき新たな時代の聖典になると想って如是我聞としたのであって、これほどまでに人間のありのままを示した文章が過去にあったろうか、多くの人に気づきを起こさせ勇気を与えてきたと自負しているのである。

 聖書も仏典も時の聖職者が自分の権力を守り信者を搾取するために多くの箇所を改ざんし都合の良い解釈にして来たのであり、聖典は一語一句変えてはならないものである。
 これまで罰あたりと言うか、このオレの雑感に対して個人情報侵害です。雑感を消して下さい!あそこの部分を削除して下さい!何と罪深い者たちだとオレは嘆いていたのである。

 オレはこれから聖書講義を書かなければならないと考えている。高嶋科学のあうんユニットを提唱したオレの責務である。オレの直感による妖精アナスタシアの本の解説がそのまま現代の聖書講義となるだろう。
 今までは下半身中心の雑感だったが、今後は上半身をも加えたものになるだろう。
 これはオレの遺書になるかも知れない。よってホームページ三十世紀への遺言に書かなければならない。 

 この世は何で出来ているのか?
 人類の思索の歴史。それは、全宇宙の謎を解く唯一無二の“神の数式”を追い求めた歴史でもあったと言う。ニュートン、アインシュタイン以来、科学者たちは「あらゆる自然現象は、最終的には一つの数式で説明できるはずだ」と信じてきたのだと言う。
 オレは全く新説を説く、この世は特に人間の住む地球は神の冗談で出来ていると喝破するのである。人間の性癖をつぶさに観察し下半身の矛盾を解き明かす時、神の冗談という結論に達するのである。
世界平和と人間進化への道 2014/09/21
宗教で世界平和実現は不可能である。現実を見れば明らかで、祈っても唱えても無駄な事である。
自分自身を進化させるには肉体と精神である。目に見える肉体を制御出来ないのに、目に見えない心の悪癖を治す事など不可能に決まっている。
只一つ可能性有るのは大宇宙の生命科学である。その具体的なものが宇宙エネルギー複合発酵あうんユニットである。
天からのメッセージを受けてアニメ風の谷のナウシカ、奇跡のリンゴの木村さん、そしてアナスタシア最後に真打、高嶋博士の複合発酵である。

ある実践主義お坊様からのメールにその答えがある。

○○○○ 様
新たな時代へのキーワード人間進化、不食への道は、そうは簡単にはいかないと感じていました。
食の矛盾つまり、肉体を持った人間の原罪(肉体を維持するために他の命を犯す)を越える為に、減食から不食への新たなステージに立つには指導者が必要です。
実践主義、信じるより確かめるの○○さんさすがです。
此処まで不食への指導を説いた人はどこを探してもおりませんでした。
人間は弱く、欲は度し難いもので何時も挫折の連続です。
その人間が自己実現して行くには先達の導きが不可欠です。
○○さんのメールを読んで納得し、少し安心しました。
その方向で努力をしてみたいと感じています。
何故か解らないのですが、ロシアへの共感と今回のアナスタシアを読んで私の直感というかセンサーが強烈に反応しました。
人の情報を集め自分のもののように紹介するものがほとんどの中、アナスタシアは現存の人でありその言葉、行為、結果等、魂に響いて来ました。
私の中ではアニメ風の谷のナウシカ、奇跡のリンゴ木村さん、アナスタシアは一本の線につながっています。
大事な事は宗教スピリチアルの教えで、具体的にこの世で何をするか、そしてその効果、具体的な成果結果です。
結果の無い教えは只のまやかしだと想います。
私はあうんユニットだと宣言しています。アナスタシアとつながる事を感じています。
  アナスタシア二巻三巻読んだ○○さんの感想をお待ちしています。

 柳田繁吉

以下は○○さんの人間進化不食へのアドバイスです。

1、咀 嚼 
 これをしないと飲み込んでいるだけで、消化せず腐って排出されます。

2、順番食
 人間の体に合った食材は、野菜、果物などのミネラル、ビタミン、酵素の多く含まれる食品で、作りたてのジュースが最も適しています。
 これが無ければ穀物を加熱したもので代用しますが、穀物は本来は鳥類の食べ物です。酵素制限物質があり有毒性もあります。(鳥は強い胃酸で無毒化します。)
 発芽した玄米、スプラウトが登場してきた背景にはこのようなことが知られてきたからです。
 野菜や果物、穀物の質が悪くタンパク質が不足していれば、大豆や魚肉などで補う必要があります。
 大豆もまた発芽した物はスプラウト化(無毒化)します。 このため最初に質の良い、野菜、果物を摂る必要があります。
 次にタンパク質を補います。
 最後に炭水化物を摂ります。 この順序で摂取すると、舌と脳がどのような成分を必要としているか、感知します。このためそれぞれの食材の量、質、必要不要が明確に解るようになってきます。 ごちゃ混ぜの料理を味覚に酔い食っていますと、舌と脳が馬鹿になり、胃腸はゴミ袋になります。添加物の玄覚に狂い、消化どころでなく腐敗し万病の元です。野生動物は決してこんな愚かな食事をしません。 質の良い一品を、腹八分から六分以下と適度に頂きますと、体調がどのようになるのか反応で解ってきます。 夕食を肉だけ(軟化、タンパク分解消化酵素として、大根おろし、パイナップルを食べ合わせる)で頂いてみますと、ご飯と一緒に食べるのに比べ、翌日のすっきり感が違います。
 体は肉の消化酵素のみ生産し、肉から様々な栄養を無駄なく吸収するからです。
 
 低回転圧搾ジューサーで絞るジュースは栄養満点です。

 3、食材デトックス
 農薬、腐敗物、硝酸態窒素などの有毒物質を取り除くためにミネラルを多く含む塩で、海水に似た水溶液を作る。カルシウム剤を溶かし込むなどした水溶液に10分程浸し、鮮度を高める方法です。
 生でえぐみを感じさせない食材になります。

 4、食事量減少 
 大食ですと消化に体力を浪費してしまいます。体が消化酵素を多種多様に生産するため、くたびれ、代謝酵素を作れなくなります。その結果新陳代謝力が低下するので、体の修復力が落ちてしまいます。結果病気促進になるのです。
 質の良い物はど少量で体が熱くなったり、体力が漲ったりしますので、僅かな量で深く満足します。 最高級質の身近な食材(珍味では無い)を数種摂取すれば、これが解るようになります。 
 質の悪い食材で無理に一食にすると、反動が酷いので体調を観察しながら一食抜いたりして自然に2食にしてから一食に移行すると無理がありません。 こうして一食の量が段々無理なく減ってくれば、体のなかに蓄積されている有毒物がすっかり掃除されてしまい、分解した細胞の再利用が出来るようになります。再利用率が100%に達したら、不食で生き続けられる訳です。 
 昔ろくな物を喰ってこなかったので、体には毒が溜まり放題です。いらつかずに、悠々たる感覚で抜く事を楽しまねばなりません。 それが最も近道で、寿命200ねん、300年の時代に突入したと私は思っています。 人間、欲の調整に熟達すれば聖です。 食欲、睡眠欲、支配欲等の調整が効かず破綻します。食欲のコントロールは最も大切ですが、タダ減らすのは馬鹿です。
 徐々に質の良い食品による栄養で、中毒細胞から毒を出し優良細胞に入れ替えるのです。
 無理なくそうなれば、案外早くそれが進みます。あせってガチャガチャすれば何度も空回りになります。 昔動物を神と崇めたのも、動物にもとる恥ずかしい貪欲に陥る人間の性からきたものです。
 本当は人間は最もバランスの良い存在なのです。神(高い極端な能力)、人(六道の善し悪しを全て備える)、畜生(微生物・大小動植物)、餓鬼(欲のコントロールを失った存在)、修羅(感情のコントロールを失った存在)、地獄(自他殺苦悩の空回り) 神から地獄に至るまで、生きとし生けるのものは、皆全て有限で欠点だらけなのです。
 

 諸行無常(一切の命は一時的現象である)
 諸法無我(あらゆる物は不変に存在しない、結局無い)とこのような事です。
 だから全てが千変万化している。だから何もかも面白いのです。 小食、微食、不食が妄想や空想の概念ではなく、実際の話なので、自他共に関わるほど、他にこれ程面白いことはありません。ゆっくりじっくり長生きすれば
良いのです。 あせって、じれて、一部機能を損傷し寿命を縮める必要はありません。 一日一品も、一食一品でもこれはいい目安です。何種もある長寿遺伝子は飢餓で目覚めます。
 一品、一品素晴らしい生命体です。
 
 面倒くさいから、炒りすりゴマを使いたがりますが、これはゴマの死骸の古びて変質した物です。
 生きた生ゴマを炒って、すり鉢で摺り下ろして頂くのとでは大違いです。
 
 生きている栄養価は大変高いので、何品も混ぜ合わせたら邪魔です。
  
 何でもかんでも卑しく食らっていて、いつでも食えると思えば、長寿遺伝子は怠けて眠っているようです。
 僅かな獲物を見逃さない鷹の目のように、長寿遺伝子が活性化していれば、最も必要な栄養だけを体内に確実に持ち込むことになります。
 不要な栄養をふんだんに蓄積したら、メタボ毒体質でしょう。
 
 一日30品目、三食きっちり食べなさいと、厚労省は言いますが、これは食材利権者、医療利権、保険利権の利益のためで、一般の健康は食い物にされています。
 バックにいるのは、ゆすり、たかり、シャブリのマフィア、使い走りのヤクザです。つまり政界の背広ヤクザ化による仕掛けです。神仙しか道はありません。
 
 根本仏教の僧侶は2500年前から、一日一食、海外の平均は2食です。三食は病人生産になります。2食は誰でもすぐに切り替えられます。ただしその分余計に
満腹するような喰い方であれば意味がありません。
 
 申し上げましたことは、誰でも解るはずのことです。解らないのは他のことに関心があって、心身の調子に無関心だからです。
 最も大事なことなのに。 無理に一食や絶食にしては危険です。拒食症になったりします。絶対に無理をしてはいけません。極わずかな不安があっても、無理しては大変です。 
 胃が縮みますから(大概が胃拡張になっている。)、栄養価のある鮮度の良い食材を摂らなくてはなりません。時間をかけてその調達体制を整える必要があります。 排便の期間が長くなり、固まりやすくなったりします。
スイマグや質の良いオリゴ糖を使用する必要もあります。
 毒性物質の蓄積の多いメタボ、皮下脂肪、内臓脂肪の多い体は特にそうです。
 
 不食と拒食症は?
 
 食べないことは同じですが、内容は全く違います。
 不食は、知られざるエネルギーを得られ、極めて元気です。
 拒食症はガリ痩せし死にます。
 栄養学(仮説)などでは説明は出来ません。科学自体が現象の一断面を見ているだけです。それも儲かりそうな事だけ。 小食から微食へ、快調そのものに至る必要があります。不安を感じたり、頼りなかったら戻っても気にしない。
 次第に本当はどっちが快適か体感を得て、コントロールを身につけて行けば良い。 
 今まで見かけでは解らない偽装食品の腐敗しかけた成分、毒性物質が溜まりに溜まっていますから、抜くのはちょっと大変です。
 効率の良い方法を無理に模索しても危険です。 細胞は古くなれば解体されますが、建物の再建築に例えますと、柱や梁を再利用し、傷んだ床や壁材は食べた食材を利用するなどのように、旧アミノ酸を再利用し新しい細胞を作りだし(代謝)ます。 もし床や壁材が傷んでいなければ、これも再利用が可能です。食べなくても済むのは、成長期の過ぎた後の細胞が、何から何まで旧細胞の分解物を再利用出来たら、外部の資材(食品)と交換する必要はありません(食べなくて良い)。
 
 添加物、腐りかけの毒性物質がたっぷり含まれる脂肪細胞を一気に減らすのは、拒食症の反動が起こるものと思われます。 10年ぐらいの時間を悠々と過ごす必要があります。経験者のレポートにはそう述べる傾向があります。
 無理なく案外早い人もいるといいますから、これまでの科学知識では判断に限界があります。
 じっくり無理なく観察し、安心するのが近道でしょう。
 アナスタシア 2014/09/14
 先日オレの所に昔の法友が訪ねて来た。
 昔は道を求め、スピリチュアル宗教巡りした時代もあった。20年は経つだろうか、当時の仲間の様子を聞くと惨憺たる有様である。皆、いまだに迷い、孤独の人生で捨て鉢状態である。気の毒に人生を棒に振ったと言ったら言い過ぎだろうか、それとも必然の帰結だろうか。
 オレはとうの昔に見限った。事実を直視した結果、主催者の欺瞞と宗教でありながら、この世的自己保身に走ってることを見逃さなかった。言葉遊びの神様ごっこでしかなかった。
 そんな時アナスタシアの本の二巻目を貸して頂いた。その内容は、そのことへの答えであって、必然の一致だった。

 「響き渡るシベリアの杉」より抜粋すると

 「ある人が真理全体の中のひと粒をキャッチすると、深い感銘を受け、その内容を繰り返し他の人に話すようになる。話しているうちに、それが自分だけに与えられたものであり、最も根本的な本質を内包するものだと固く信じるようになる。
 彼はそれを他の人達に繰り返し伝え、それだけを根本的で唯一のものと考えるよう強要しようとする。その結果、彼は自分自身を、本質的な情報の完全体から切り放してしまう。真実を知る事は、それを公言するところにあるのではなく、それを生きるところにある」 

 将に現代宗教を喝破している。将に主催者が神様ごっこなら、信者は貴方任せの盲信だった。宗教の教えを行動に移し結果を出さなければ間違いと言う事である。

 又本の監修文に

 感じることこそ、目覚めへの第一歩だと思います。
 心の奥深くには、内なる気持ちが言葉になる前の「感じ」として存在しており、そこには、プライドという自尊心ーおごりに毒され、頭の中をグルグル駆け回る言葉をもった感情−は存在しません。
 その領域は、まさに「相反するものが融合しているところ」、プラスでもマイナスでもない、生でも死でもない、光でも闇でもない、そういう全てが融合した、すべての可能性を秘めた完全な意識の領域なのでないでしょうか。・・・とある。 

 オレは生命科学に携わり、生命としての矛盾、食べる事と性の矛盾を“バカ丸出しの自由自在心とキラリ光る真実”というスタンスで、恥ずかしいもヘッタクレもあるものかと下半身を中心に「百姓雑感日々如是我聞」で真実一路で探求してきた。
 あの化粧の濃い二代目女教祖も三人の子供をもうけている。教えの中、食の矛盾も性の矛盾を説いた事は一度も無い。娘をもって子供の時は何々ちゃまと会員によばせ、今では後継ぎの先生と呼ばせている。

 博士の魂は白隠の魂と一つにつながっている。白隠は直感で元極の世界を知った。博士はそれを科学で現し証明した。ジョンレノンのイマジン、天国も地獄も無いさ、光でも闇でも無い、生も死もない。それは宇宙元極の教え。それはアナスタシアの全てを融合し、すべての可能性を秘めた完全な意識の領域と合致する。
 固定観念を取り外せ 2014/09/10
オレは決して人に左右されない。我が道を行く男と想っていたが、実に簡単に知らない間に言葉をすり込まれている事を知った。
 手伝いのオバチャンが豚に名前を付けたのである。その名前は“雪ちゃん”だった。雪のように白く目鼻立ちのスッキリした豚だった。
 バカな!何が雪ちゃんだ!笑っちゃうヨ!と想っていたが、ある日の会話にオレの口から突然雪ちゃんの名前がでていた事に愕然としたのである。

 養豚業において経営として最も大事な事は、良い種付けをしてたくさん子供を産ませる事にかかっている。
ある日の会話である。

(オレ) 雪ちゃん(ハッ?)発情はまだ来ないのか、注意して観察を怠らないように!

(オバチャン) どう言う状態が発情なのかよく解らない!

(オレ) 陰部が赤くなって濡れて来るんだ。その時お尻を触ってもじっとして動かないのだ。普段ならすぐに逃げてしまうが、その時は目がうるんで桃色吐息なんだ。

(オバチャン) そんな事解らない!

(オレ) 女のくせにそんな事さえ解らないのか!

(オバチャン) 昔の事で忘れちゃった!

(オレ) 想いだすんだ!高い給料を払っているんだ。アナタが発情を見落とすと次の発情まで21日間、無駄飯を食わせる事になり、オレの財布に直結するんだ!

 以上のように、人間は知らない間にすり込みやマインドコントロールにより固定観念を植え付けられている。

 日月神示では、今この時代、人間に大進化が起こり、放射能汚染にも毒されない半霊半人間になると言う。大方信じないだろうが、オレはありえると想っている。
 
以下は何時も素晴らしい情報を送って頂くお坊様からである。
 
 福島の放射能、日本の平均的放射線量、放射能物質の被害は個人差があります。生命維持は、肉体と精神では大半が精神が主で、肉体は生命現象の一部です。
 放射線は大変高い周波数ですが、精神の周波数はこれを遙かに凌ぎ、放射線の影響を受けません。肉体は周波数が低いので強く影響を受けてしまいます。
 私たちの意識(情報処理)は頭脳の範囲で、肉体の周波数範囲です。生命維持は殆どが無意識(考えの及ばない範囲)で行われています。

 例えば心臓など内臓を自分の意識で動かすことは出来ませんし、もし出来たら大変危険です。無意識にかかる心が意志(行動になる無心の心)です。
 意志の強い人ほど放射能の影響が低いのです。銭金、食い物、アルコール、異性など肉体感覚に引きずられ、より良く生き抜く意志(志)の弱い人ほど放射能被害が強く及びます。無意識の力が強い人は、集団無意識にしっかり結びつきます。
 
 私はできる限り処々方々に役立ち、引き替えにいつ死のうが本望と思ってきたので、恐れて身を持ち崩すことはありません。福島には良く出かけております。
 私よりも上手の、カスミを喰って生きる現代の仙人(不食者/微食者)が世界中に続々と現れています。私も追従が始まりました。全く無理なく1日1食、さらにはもっと少なくです。
 
 このプロセスとして、咀嚼、順番食、食材デトックス、食事量減少をステップを経てきております。
 
 寿命300年時代到来です。飢餓状態から長寿サーチェン遺伝子がオンになることが知られてきましたが、これを無理なく実践できる方法を直感的に掴んだ人がかなり現れてきたのです。

 オレは養豚業だがほとんど豚肉は食べない。あうんユニットのエナジー水で作った野菜を中心の食生活である。
 敬天愛人と共存共栄 2014/09/09
 幕末に活躍した西郷隆盛は日本史上最も清廉誠実な英雄であり、仁愛の人であったと言われる。その西郷が好んでよく使い、揮毫した言葉が敬天愛人である。将に生命世界は天をうやまい人を愛し、共に在り共に栄える事である。
 日々事が起こる人生も、微生物の発酵も全く同じ道をたどる。合成融合への大調和へと行くか腐敗変敗の滅亡へと行くのか二つに一つである。物質世界へ天下った人間の必要悪の欲も一線を越えると腐敗変敗の破滅への道をたどる。 

 例えば、お金に振り回されシステム販売と直売の二刀流で組織の会員を裏切り、次に同業販売他社を蹴落とそうとして、その次は本尊に刃を向ける事になるだろう。
 過去の歴史や昨近の世相を見れば明らかで 世の金力・権力者への道を行く者の行動パターンは昔から決まっている。
 悲しいかなそれは自業自得の破滅へと一直線に向かっているのである。人間とは愚かで弱いもので小さな枝葉の損得しか見えずに、自分をのみ込もうとしているすぐ側にポッカリ開いてる地獄の穴が見えていないのである。

 常に天を想い、日々の自分の行為を反省しなければ何時道を踏み外すか解らないのである。斯く言う私も例外では無いのである。 
 高嶋科学に共に縁を頂き、大いなる仕事に誇りをもって共に支え支えられあった仲間ではないか、今までの功績を全て台無しにするのか、それとも此処で乾坤一擲、猛省して初心に立ち返り、我々と大同団結して家庭からの複合発酵に共に邁進しようではないか。

 貴女は本来心やさしく包容力ある女性だと想う。貴女の命が輝くのは、儲けてお城のような家を作り優越感に浸る事ではないはずだ。
 日本全国飛び回り高嶋科学の伝道者となり、多くの人々の前で説法をしている時こそ貴女の命が最も輝く瞬間だと言う事を気づいて頂きたい。
 この世で最も尊い事は自分の命を輝かせることである。
 お金と生命の本質 2014/09/03
 何故、人はお金が好きなんだろう。
 お金があれば、およそ好きなものが手に入る。大きな家も高級車も高価なブランド品も何でも手に入る。どこでも行きたい所へ行ける。又美味しいものも食いたい放題食べられる。
 確かに自由の範囲が大きく広がる。生命は光で自由自在なものだから、本能的により自由を欲しているのだろう。だから、お金が好きなのも理解は出来る。

 しかし、お金は人間を狂わせる。もっともっと・・・と何時しか欲望へと変わってゆき、より自由を求めていたはずが何時しか自分をより不自由へと追いつめる。
 お金持ちの豪華な家を目にする時に美しいとは感じない。むしろ欲望の館と見えるのは私だけだろうか、小さな古い家で良い。大事にしてきれいに掃き清めている家は美しく感じるのは何故だろうか、それは住む人の心が表れているからだと想う。物を大切にして雨露をしのいでくれる小さな家に感謝さえ湧いてくるのであろう。

 巨万の富を築いたとしても死んで持って行く事は出来ない。子供の為に稼いで仕事を大きくして子供に残すと言う。子供に対する愛だと言いたいのだろうが逆であり子供を駄目にするのがせきのやまである。むしろ何も残さない方が子供が自ら生命の力を発揮し、進化する事につながる。自分の欲望を偽りの愛にすり替えただけの話である。

 何れにしろ今、貴女の心が怒り心が散り散り不満でいっぱいなら、間違っていると貴女のセンサーが反応して魂が貴女を救おうとしているのである。
 相手のせいにして自分をより不利な立場に追い込むのではない。真の敵は自分の中に住んでいるのであって、勇気を持って自己矛盾を正し、王道に立ち返り自分の立場を生かせば、大いなる仕事を成し遂げられ、それこそ天国に宝を積み、永遠の生命を得る事につながるのである。

 以下のメールを読んで頂きたい。

 千葉県の女性より 
 柳田 様はじめまして、○○と申します。
ホームページからメールをお送りすることができなかったもので、こちらから送らせて頂きました。天下泰平さんのブログから柳田ファームさんを知り、奇跡の水の存在を知りました。
原発事故後、放射能汚染の影響で様々な症状を体験致しました。
今は、肌のチクチク感と体のむくみ、関節の痛み、心臓の痛みや苦しさ、喉の痛みを感 じております。
以前に比べ、体が回復しなくなって来たように感じ、どうしたらよいものかと困ってお りました。
また知人なのですが、癌が脳にまで転移してしまい苦しんでいるもので、まずは自分が 体験してみて、勧めることができたならと思っております。
そこで、以下の商品を購入させてください。



>今晩はメール頂いて心が痛みます。
>でも希望をもって前向きに生きていきましょう。
>先ずは体験なさって下さい。
 柳田

柳田 繁吉 様
お忙しい中、ご返信をくださいましてどうもありがとうございました。
くださったメールを拝見し、涙が出ました。
私も、人の心に光を灯せるような人間になりたいと思いました。事故のお陰で、心臓が止まりそうになったり、全身に水疱ができたり、歯が折れ口の中 の痛みで食事が出来ないなど散々な思いをしましたが…
ですがそのお陰で、この世界の真実を知り、今後地球に広げていかなくてはいけないテ クノロジーの存在を知りました。まずは、もう少し元気になって…地球の負荷にならず役立てる存在となって行きたいです。お気持ちに心から感謝いたします。
本当にどうもありがとうございました。

  ○○ 

鳥取県米子市の女性より 
柳田様
昨晩HPを読ませていただきましたが、凄いの一言です!私は、311の時は東京杉並区に住んでいたのですが、月曜日には仕事を辞め、家中目張りをして数日間家にこもり、週末のプルーム到達前に九州の実家に避難しました。
約1ヵ月九州にいましたが、子供の学校の関係(当時高校3年生)でどうしても引越しができず食事や水など色々な事に気をつけながら生活をしていたのですが、やはりどうしても空気を吸ってしまうので体調がいままでとは違うと感じ、GWや夏休みなどの休みには必ず東京を離れていましたが、2011年冬に家族で東京を離れることにして、
現在に至っています。
食べ物も産地がわからないものは怖いので、味噌なども米麹から自分で作ったりしています。今年、42歳で赤ちゃんを出産しました。21年ぶりの出産と高齢出産で大変でしたが、普通分娩で元気な赤ちゃんを出産できたのも、健康に気をつけていたからかなと思っています。人間の体は正直で、食べた物、吸ったもの、取り入れたもので、健康になったり、健康でなくなったりします。主人も現在○○大学医学部で再生医療の研究者として仕事をしていますが、薬は全くと言っていいほど飲みません。必要以上の薬は毒になるとわかっているのだと思います。長々と書いてしまいましたが、
311後今まで、これからの日本を危惧していましたが、柳田ファーム様のHPを見て光が見えてきたように思えます。
今後も、たくさんの人が柳田ファーム様のHPに出会えるといいなと思いました。このご縁に感謝したいと思います。ありがとうございました。

   福島の知人より
   残暑お見舞い申し上げます。
 お久しぶりでございます。
 しばらくモルトなしで暮らしましたがやはり食品の中に放射性物質がかなりあると感じたとき一緒に飲んでおくとなんだか胃のぽっかり感が緩和されたような気がいたします。
 とにかく簡単にいえばすでに何を食べても放射性物質がかなり入っているという感想です。 海の魚の加工品、スーパーに並ぶ総菜、インスタント食品、地元産の大豆を使った豆腐は大変だと感じました。
 植物により放射性物質吸収の度合いが違うのでしょうか、放射能の少ない土を畑に客土して自分で食べるものをつくって食べないと、もはや身がもたないという思いです。  Xデイにおびえながら皆いるんです。

 ほんとうは福島に限らずもっと広範囲の汚染ですから大変さは深刻です。  お盆に友人と久しぶりに居酒屋をはしごして、周りの人からもれる不安の声を耳にいたしました。
 帰りのタクシーの運転手から聞かされた話は胸にきました。  原発地帯から避難している若い娘なんかは結婚もしないで補償金でいい車に乗って遊んでいるんだと、どうせ病気になるんだからというそうです。
 タクシーの運転手は敏感に世の中の声や景気を誰よりも早く察知するんだと思います。
   スナックの常連は原発避難の年輩者が多いと> 金はあるがいくとこがないんです。
 中国人のママと女の子が一人いる店にたまたま入ったんです。
 避難者はいいお客様なんです。
 除染しないと住めないような土地にいながら補償も何もなく不安だけがあるような人と金のある避難民が一緒に原発汚染地域で暮らす矛盾は生活のあちこちに出て摩擦にもなっています。  お体大切にお過ごし下さい
 モルトセットをお願い致します  ( ´艸`)

<これから多くの人が地獄の苦しみにあう。その時、高嶋博士の生命科学が大いなる力を発揮する。高嶋科学は白隠禅師の教えと一つのもので、天の法を科学に変えてこの世を大進化させるのであり、白隠と高嶋博士は深いえにしの天命を授かりし人なのである。その科学を金儲けの為に私物化する事は断じて許せない。オレが玉砕してでも潰す。>
 護身術 2014/08/26
 オレは最近、身の危険を感じている。犬が鳴けばもしや、夜中に猫か狸がガサッ音を立てれば、さては刺客がオレの命を狙いに来たかと身構える。
 人類救済高嶋科学故にオレのホームページのトップで紹介したスライブにあるように、地球支配者からの刺客か、もしや商売に絡むことで、同業他社からのいやがらせで、ヤクザを仕向けられるかも知れないと常に覚悟はしているものの、どうしてもオレの動物的本能が反応してしまう。
 如何に正義の道とは言えど身に降る火の粉は払わにゃならぬ。此処で犬死にしては複合発酵あうんユニットはどうなる。とん挫すれば人類滅亡につながる。そこで早急に護身術の体得を迫られた訳である。

 古くは宮本武蔵の二天一流か植芝盛平の合気道かそれとも大山 倍達の極真空手か考えに考えたが、オレも歳だ若いころは運動会で何時も一等賞、相撲も学年横綱だったが、最近体力の衰えは目を奪うばかりだ。この前も電車に乗ってどこぞのオバさんに突き倒されてしまったばかりだ。このような状況の中、如何に効果的な護身術は無いものかと思案にくれていた時、キラリひらめいたのが、“必殺!一撃金玉蹴り”だったのである。
 これなら非力のオレでもどんな剛の者も倒す事は可能である。そこでオレは裏の雑木林の大きな木に藁むしろを巻き付けては日夜キックの稽古に励んだのであるが、あまりの足の痛さに又考えた。その時、そうだ!いいものがあると・・又閃いた!可哀そうだが豚のお尻を借りようと思い立ち、やってみると実に具合良い。豚も怒るでもなくむしろ気持ち良さそうにしているのであった。勘違いしているのかも知れない。
 次に武道にも科学の目でみて人体力学に沿った鍛錬が必要である。それは打撃する瞬間のスピードによる強さと当てる場所の確実性と、さらにその精度を高めて金玉のどこの部分が一番ダメージがあるかの研究にも着手したのである。
 さらに各武道の融合を試みた武蔵の二刀流からヒントを得た金玉二度蹴りの体得である。
 その様な艱難辛苦の末の鍛錬と研究の成果でどうやらその極意を体得したようである。実に奥の深い話しでその先は秘伝として巻きものに記したのであった。

 オレは全てオリジナルで人真似はやらない今回の護身術も同じである。ところが一つ見落としていた事に気がついたのである。それは刺客が女だったらこの護身術は役に立たない。ましてクノイチで色仕掛で近づいてきたら全く自信が無い。
 それにしても男の急所は楽あれば苦ありで、将に男にとってあそこは光と影、天国と地獄の具象化したものと言えるのだろう。  
 金力と情報の力 2014/08/24
 “ペンは剣より強し”金の力は欲望を満たすが真実の情報は金力に勝る。
 私の王国を作る足掛かりに先ずは目の上のタンコブ柳田ファームをブッツブシテやるワ!寝汗ビッショリ股間をゾクッと冷気が襲い失禁して目が覚めた。

 何時の頃からだろうか得体の知れない陰湿な圧力を感じている。一体なんなんだ。人類救済科学故に、あらゆる所に光と闇の壮烈な戦いが続く。それが内部にも起きている。
 白隠が言う元極の世界は善も悪も無いから、光が闇を切り裂いてゆく時に起きる抵抗現象と言ったら良いのかも知れない。
 商売世界は将に欲の世界である。内部の事は外に出したくないが、此処まで来たら明日にでも表面化する事だから黙っていられない。オレが人生の目標にしている人類救済高嶋科学を世に出す障壁になって来た。
 それは同業他社が健康ビジネスの販売権を全て、くれ?よこせ?独占販売させろと言ってきているそうである。その真意の一つに柳田ファームに対する陰湿な怨念(女のもの)が潜んでいると想うからである。
 数度にわたり、真実一路のオレのホームページのあそこを消せ此処を削除しろと博士の側近を使い言いがかりをつけられて来たのである。何で博士の側近がその様な事を言って来るんだ。
 オレは本当の事を控えめに言ってるだけだ。オレのホームページうんぬんなら博士の誹謗中傷対策に向けろ、どれだけ人類救済の障壁になってるか解ってるのか!失礼千万余計な御世話である。
 
 バカな話である。EMBC健康ビジネスなんて大きな市場の中、ほんの米粒のような範囲でしか展開していない。何で内部の仲間をターゲットにしてつぶしにかかるんだ。博士は多くの人に高嶋科学を伝え困っている人を助けてほしいと言っているのに、堂々として販路を外に拡大すれば良いではないか。やりたい放題ルール無視の無政府状態である。
 健康ビジネスに参入している各社は、お互い同等の立場でで正式な契約の基に成り立っている事であり、他社の仕事を奪い蹴落とすなどまともな人間の考える事にあらず、内部事情は解らないが個人的な事柄を我々の公の商取引に持ちだしているならば公私混同もよい所である。
 世間に良くある乗っ取りの常とう手段は貸して最後に全て奪い取る手法である。欲の張った事を言い無理を通せば自らの首を絞めて全てを失う事になるだろう。
  
 博士は人類救済科学故、次から次へと大きな試練を受けている。我々はそれを支えていかなければならないのであり、その様なものに屈服する事など出来ないのである。
 オレは今高嶋科学展開の切り札複合発酵あうん・ユニット展開に道筋をつけつつある今、断じてその様な者の想いどうりさせてはならないのであり、その為の強力な手段を持っている。
 それが情報の力なのである。それは只の情報で無く、真実の情報であり多くの心ある人が応援してくれているし、世の中を変えようとする命を張った勇者が背後にいる。それより何より天が背後で見守っているからである。  
 田舎のジャンヌ・ダルク(3) 2014/08/20
 オバチャンが会議に乗り込むと、前にズラリ並んだ役員が一斉にオバチャンを見て、お互い目で合図をしていたと言う。すると、司会者は会長はお身体の具合が悪いので今日は欠席ですと言ったそうだ。オバチャンの告発が恐くなって仮病を使った訳である。
 そこで、オバチャンが今回の問題を会員の前で告発する口火を切った途端に、先手を打ってきて、その件は役員で善処しますので、しばらくお待ちくださいで口封じされてしまったそうである。それから数日、会長がオバチャン宅を訪れて踏切は解除になりますので少しお待ちください。これからは皆さんに奉仕する自治会にしますので、今回の事は何分宜しくお願いしますと挨拶に来たそうだ。
 色々書こうと想ったがマア当初の目的を果たした所まで書いたので、これまでにして肝心の本題に入ります。
 オレが今回言いたいのは人生を変える為に、自分が変わるには行動である。それも天に通じ過去の自分を打ち破る行動なのである 。自分の限界の壁をうち砕いたオバチャンの勇気に拍手であ る。オレが手助けしたのはほんの少しで、自分で過去に無い新たな経験を断行して、自分の可能性を広げた事である。いくら教えたところで出来る事では無い、自分を変えようと言う強い意志と勇気の源泉は直感である。オレのメッセージを直感で受け止めた彼女自身の魂が全てであった。
 具体的にあの踏切が通行止めのままなら、どれほどの人が長い年月不便さをこうむった事か、その人々に対する愛の貢献度は計り知れない。
 人間としての価値は他の生命に貢献する事である。もっとも恥ずべき事は怠惰な心と、汚い欲の為に他の生命を蹴落とし我欲を満たそうとする行為である。立つものを持ちながらオバチャンの影に隠れて泣きごとをいう男ども、欲に狂い金に狂い自分の言動が何をやって何を言っているのか解っていない。たわけ女にメッセージを送る。不条理を受け入れる組織は早晩、時間の問題で崩壊する。欲を張り無理難題を持ちかけたものは、自らの首を絞めて全てを失う事になる。

 ジャンヌ・ダルクは火あぶりの刑で殉教された。どれだけ熱かった事か燃え盛る火の中で死んでゆくのだ。九州島原の火砕流で焼かれて死んだ人東北の大津波で水をのみ込み死んだ人、韓国の客船事故で死んだ子供達、天井は厚い鉄板の船底、海水がどんどん入ってきて自分の顔が位置する水面と天上の鉄板の挟まい空間がどんどん狭くなる。その時の状況を我が身に置き換えて考えた時、今生きている事の有り難さを想い、今この瞬間を大切に生きてなくて何とする。明日は我が身である。
 田舎のジャンヌ・ダルク(2) 2014/08/19
 戦いに際して大切な事は、相手を知り自分を知る事である。さすれば百戦危うからずと言う。それと天を信じ身を捨てる殉教の心と一人でも敵陣に乗り込む特攻精神である。 
  オバチャンはほとんど考えない人生だったらしいから、自分を知らない。そこはオレがカバーするから取り合えず相手を知る事にエネルギーを注ぎこめと言った。
 そして情報集めをさせた。踏切の道路は市道だから行政の市へ、そして線路は公安へ、そして道交法は所管の警察へ、踏切を止めたいきさつを調べさせた。しつこくしつこくコロンボ警部のように、すると担当者はどこも同じに焦点をボカシ問題を明らかにする事を避けているように感じられる。これは同じ関係機関の職員どうし仲間の失敗をお互いに隠し合う、お互いどうし宮仕えの自己保存本能が無意識のうちに働いてるようであった。
 その情報収集の 成果の答えが次第に明らかになって来た。地域の自治会長が線路の近くの家の強欲オヤジの依頼に応じて偽りの申請をしたのが明らかに浮かびあがって来たのである。
 そこでオレは手を打った。オバチャンは教えた事が頭に入らないから、オレの作文で行政へ理路整然とした市民不在の踏切停止に対しての解除願いを書いたのである。勿論オバチャンの名前での手紙形式としたのである。先ずは自治会長に揺さぶりをかけて反応をみようと会長宅に持って行かせた。すると手紙を読んだ会長は途端に深刻な顔になり、少し時間を置いてから、これは貴女が書いたものですかと質問して来たと言う。
 何と答えたのかいと言うと、大きな声でソーデスと答えた言うのである。オレは言った。それでは私が書いたものではありませんと言ってるようなものだ。そういう時は、斜め下から上目使いに少し睨んで“下手な文章で悪かったですね”と言うのが正解なんだ。まだまだ修行が足らないな、でもそれも返って良いかも知れない。この手紙の背後に何か自分たちの違法行為を暴く恐いものが関係していると想わせる効果があるかも知れないと言ったのである。
 それから、オバチャンはオレの激励に応じて人生初めて班長だけで150人から集まる大集会の中、堂々と乗り込みゴミの収集がどうのなどの議題に長々説明などしている場合でない。とんでも無い事がこの自治区内で起きていると問題提起したのである。
田舎のジャンヌ・ダルク(1) 2014/08/18
オレは経理のオバチャンに田舎のジャン・ヌダルクの称号を与えた。

ジャンヌ・ダルクとは以下ニコニコ大百科事典より
フランスの貧しい農家の娘として生まれたジャンヌはある日「オルレアンを解放しフランスを救え」という天のお告げを聞く。
当時のオルレアンはイギリス軍の包囲の真っ最中であり、ジャンヌ率いる軍勢はその包囲解放を目指しオルレアンに進軍する。。
ジャンヌは自ら軍の戦闘に立って突撃し、兵士たちを鼓舞した。その結果フランス軍の戦意は高く、見事オルレアンを解放することに成功するのである。
「女性ながら戦争に参加した」という事実が広く知られるようになったため各地の闘いに参加した女性のことを「○○のジャンヌ・ダルク」と呼ぶことも多い。

オレはある女性を将に戦争に参加させて勝利を勝ち取らせたのである。オレという柳田大明神のそそのかし、イヤ励ましによってである。今はオバチャンをよぶ時には田舎のジャンヌ・ダルクとツイ言ってしまうのである。
それはある時、晴天のへきれき!と言うか理不尽にも何時も軽自動車で通っている踏切が突然通行止めになってしまったのである。それは地域の通勤だったり田んぼへの耕運機搬送の農道だったり、老齢化社会での緊急事態などに必要な生活道路であり、弱者にとって本当に困り果てた事態だと言うのである。
噂によると地域のボスが私的な理由で行政に働きかけて止めさせたと言うのである。
そこでオレはオバチャンに言った。人生における日々の出来事は全て必然であり、それは各人に与えられた課題である。貴女はこの事態を何とすると問いかけたのである。
すると、カ弱い(かよわい)女の私に何が出来るのヨと言うのである。
オレは言った。女だっていざとなったら立ち上がるんだ!すると、女は男みたいに立てない!立つものがついていない!と言うのである。オレはさらにたたみかけた。男だって立たない男が五萬といる、立つとは精神をさして言っているんだ。
歴史を見ろ!フランスを救ったジャンヌ・ダルクは女であってそれも貧しい農家の少女だったんだ!オバチャンは寄る年波で何時死ぬか解らない身の上だ!生きているうちに正義の戦いに打って出るんだ!今の内に天国に宝を積むんだ!とにかく想い付く事は何でも言ってその気にさせたのである。

<今回は初めて長編の雑感に挑戦します。この続きは明日のお楽しみに(^^)>
 涙 2014/08/15
 人生幾つもの涙を見て来た。その中で心に響く涙に出あった。ファームを見学にきた親子連れの母親の涙だった。
 
 小さな子供を持ち放射能の恐怖におびえる毎日に、心は不安と恐怖でつぶされそうになりながら、世の中の何を信じて良いのか解らない毎日に平静を装っては来たが、複合発酵のプラントの奇跡をつぶさに見た瞬間に張りつめた想いが一気にゆるんだのか、こらえきれずに涙となってあふれて来たのだろう。
 心に一筋の希望の光が差し込んだのだろうか、オレは見ぬふりをしながらも彼女の感動の想いにセンサーを向けていた。悪臭漂う浄化槽が酸素が出ているマイナスイオンがでて其処は癒しのエネルギーに満たされている。陰が極まれば陽になる。闇が深ければ夜明けは真近い。彼女は複合発酵に神を見たのだろう。神に出あった奇跡に涙したのだろう。 

 我々人間は毎日何を求め、何の為に生きているのだろうか、命の本質、最も大事なこの問いかけをやっているだろうか、光と影である。光と影は一対のもので光が強ければ強いほど影は暗い。人間の善も悪も全く同じことである。深い闇から抜け出た瞬間の光に感動して涙する事こそ命が輝く瞬間である。
 長い闇のトンネルも希望の光を信じるから耐えることが出来るのである。

 女は凄い商売の金儲けにも涙を流せるみたいだ。私に独占販売させて下さい!どうして解って下さらないのですか!他の販売者など早く首にして下さい!私一人が儲けたいのです!目にいっぱいの涙を浮かべて訴える。(心の中では、先々売り屋の名前を返上して製造も卸しも全て傘下に収めて一大王国を作ってやるワ!)
 
 古今東西、人間社会はお上が肥えて下々が飢える。大自然界は山が豊かになれば川がきれいになり海が豊穣の海となる。山が枯れれば海も死ぬ。ところが川上は枯れる一方だが川下は肥える一方という自然界にも人間社会のも無い事が起きている。もっと切り込んだ事を書きたいが今はこれまでに止めておこう。
 阿吽塾 2014/08/14
 命の学び舎・阿吽塾開設、
 複合発酵に縁を頂き早20年、何と劣等生だったこのオレが“学び舎”つまり小さな学校を開設しようとしている。
 これまでオレの人生の先生は自然であり自分と言う命である。“人間は自然の一部生物生存の原則を守るべし”とホームページの巻頭のメッセージにあるように自分と言う生命がそのまま先生であり、自分が病気をしたり苦悩を抱えてその答えを求めての人生がそのまま学びであった。
 教育と言う言葉がある。教えて育てると言う事だろうがオレは違うと想う。人間は教えても理解しなければ頭に入らない。理解し頭に入るの深い意味は魂の次元で気づきを起こす事であり、気づきとは忘れていた事を想いだす事である。
 遺伝子情報には我々進化のあらゆる情報が備わっている。肉体の情報にしてそうであるから精神の情報は無限大で宇宙そのものがその中にあると考える。我々人間は迷盲の闇にかき消され忘れさせられたのである。
 
“育”つまり育てると言うのも人間の傲慢なもの言いであり、育てるのは自然が育てるのであり自分の命が自分に関係なく勝手に育つのである。

 子供を作ると言うが子供を作ることなんて出来る訳が無い。出来ちゃった結婚して離婚した女性を知ってるが素直で正直な人である。将に出来ちゃったのである。男と女が後先考えず桃色吐息で桃源郷をさ迷っているうちに気が付いたら生理が止まりお腹が膨らんできて出来ちゃったと言う。作ったとは言わず出来ちゃったと言うこの人の言葉には真実がある。

  「学びとは忘れている事を想いだし、自ら育つことである。」

 阿吽塾の役割はこれから来たるべき地球維新の志士の発掘である。こう言うと明治維新の吉田松陰の松下村塾を想いだすだろうが、そんな小さな話しでは無い!
 明治維新の真実は全て闇の権力者に憑依する悪魔サタンの地球壊滅計画の範ちゅうの出来事であり、江戸の理想的循環型社会を嫌ったサタンの仕業なのである。
今回の地球維新は神の計画であり、その歴史上の出来事は明治維新など吹き飛んでしまうものである。

 阿吽塾の基本方針、特に塾長としてオレは最も高い次元の導きを考えている。
 それは昔の父親は口下手で家族を養うために黙々と仕事をこなし背中で愛を示しメッセージを送るという。
 オレの目指すものは神の次元、柳田大明神として背中から後光を発して、光で塾生の心の闇を清め去り、神は黙して語らず行動行為で示したい。・・・そういうものになりたい・・・(宮沢賢治“雨にも負けず風にも負けず・・・そういうものに、わたしはなりたい ”)(^^)

<我以外全て師なりであって、集う塾生は皆師でもある。・・・その様な学び舎にしたい。それから後付けで出来ちゃった婚を解説すればその様な結婚は後に禍根を残す事になるだろう。子供は僕は間違いから生まれた子供でおできか腫れものみたいに余計なものだった。両親の愛なき子供だったと投げやりな気持ちになるものである。まして離婚すればその駄目押しみたいなものである。子供は作るものでなく、出来ちゃうものでもない正解は授かるものである。>
阿吽の呼吸 2014/08/04
 この世で大いなる事を成すには万事阿吽の呼吸。
非力で愚かな人間が大いなる事を成すには天の力を引き寄せ、あうん呼吸で事を運ぶ事である。
 来る人迎える人、頼む人頼まれる人、相手を想いやり想われる、喜びと喜び信頼と信頼がこだましあう、吐く息吸う息表裏一体、阿吽は万物の根源、大宇宙の姿そのものである。
 我々はお互い阿吽の関係になれば宇宙と共振作用を起こし、大宇宙の力を我がものとして仕事を遂行出来る。
 我々の目的は大自然の力、微生物による大調和世界、蒼き清浄の地を実現する神様のお仕事である。故に力づくで何かをする誰かを説得する必要など全くない。行雲流水、来る人拒まず去る人追わずである。必要な人は自然と引き寄せられ不必要な人は離れて行く。
 やはり時代は近づいて来ている。闇が深ければ夜明けは近い。人々の内部で変化が起きつつある。自然から大地に、食糧と水から農業に関心を向ける若い人が増えてきている。我々人間も小宇宙であり大宇宙とつながり一つになる時代が近づいている。

 とは言ってみても阿吽の呼吸でいかない話もある。
  ♪ ないしょ ないしょ 
   ないしょの話は あのねのね
   にこにこにっこり ねえ かあちゃん 

 なんといい歳をしたこのオレに、嬉しくも無いヒゲ面オヤジからないしょ話を耳打ちされたのである。相手は名前を聞けば皆解る大企業の部長からなのである。
 半導体を作る製造過程で出る、物凄い毒物を海に垂れ流している。だから最近魚が美味しく無いでしょうと・・・だから私は背戸無い界の魚は食べないと言う。
 この事は絶対ないしょだからね・・・と
 その事に係って早20年罪の意識にさいなまれながら、複合発酵に出あってその驚異的分解能力に驚いて関係者に話しても誰も信じてくれないという。

  この部長さん家庭からの複合発酵あうんの話をすると、お金が必要なら、いくらでも出すから何時でも言って下さいと言う。オレはその事を聞き逃さなかった。
 そこで、日時を置いてからそれでは折角のお言葉なのであうんを被災地に無料設置しますので一台で良いから70万円程よう立てをお願いしますと言うと、とたんにトーンが下がった。なら初めから言うな!挨拶に虚言を使う部長だった。(これを解りやすく言えば“嘘つき”と言う)

<せめて罪の償いに協力すれば良いものを、貴方の影に隠れてやる手法でどうして高嶋科学を普及出来るんだ。この部長さんオレに言った。金は出さないが知恵は出す。柳田さんが奇跡のリンゴの木村さんみたいに本を出せば良いと。。オレが本など出してる時間が無い、出すとすれば雑感をそのまま載せるだけだ。貴方の事を書いたこの雑感をそのままトップページに掲載するが、それでも本を出すと言うアイデアは変わらないか!それとも金と同じで又無かった事にして下さいと言うか!>
 一なるものへの統一 2014/07/19
 自然は美しい何故か解った。一なるものへ統一しているからだ。太陽だ太陽に向かって生きて生かされているからだ。
 百姓として本来の自給自足体制を目指して、大自然農法確立に取り組んで数年如何に太陽の光が重要か思い知らされた。 雑木林の木々の枝の一本一本無数に茂っている葉の一枚一枚が・・・木々が草木が森や山々の大自然が・・・生きとし生ける命あるもの全てが、オーケストラの指揮者のタクトに従う様に太陽に向かって反応しているからだ。
 そして太陽が沈むと一斉に眠りに就く、自然の一部である事を忘れた強欲人間もさすがに眠ることの法則からはみ出す事は出来ないようだ。
 最近あうんの風が吹き始めた。風を起こそうと団扇で一生懸命あおいでみたが、人為的には吹かなかったが自然に向こうから風が吹いて来た。
 見学者が後を絶たない。以前は個人的だったが社会への係りの大きい人達、会社経営者や組織のリーダーなど多くの人を束ねている人達が来るようになってきた。その様の事でオレも疲れ気味である。多くの仕事をこなしながら炊事洗濯やらなければならない。あうんの展開を考えて心身疲労が重なって来た。何せ一人で全てこなしているからである。そろそろ嫁を貰わなければならない。よる齢なみで下半身は使い物にならないがそれでも来てくれる女はいるだろうか?
 このような状況になると考えが浮かばない。肉体の疲労より精神の疲労はもっときつい。ある時などオレは全て投げ出し、もういい止めた死のう死んだと床に身を投げ出して、そのまま寝てしまう事がしばしばであるが又目が覚めて見るとエネルギーが充電され湧きだしてきて、また歩き始めるのである。
 生かされていると言う事を実感するのはこのような時である。不思議な超不思議な事である。人間命を張って生きている時に真実を発見するものである。
 毎日毎日ニュースをみては何とおぞましい人間どもだ。この際早く絶滅してしまえお前らが消えればこの地球はたちまち美しい世界になる・・・この人間達が一なるものへ統一して生きて行く時代が来るのだろうか?美しい世界で生きる地球人類は実現出来るのだろうか?それを目指して今日もあうん展開への戦いは続く。
 熱い心と阿吽の呼吸 2014/07/18
 この世の人間は単純そのものだ。好きか嫌いかの何れかだ。その熱い心の度合いで、あばたもえくぼになり、阿吽の呼吸で全て受け入れる。道具としての半端な人間が集まり事を成すにはこれが全てだ。
 オレの所来て継続し同志となる人は高嶋科学の真髄を直感で感じ取り、そして、馬鹿丸出しの自由自在心の信条のオレを好いてくれる、この二つが条件である。
 自由自在な心と素直な心は翻訳するとバカとなる。 熱い心は天の法に生きる人に飲み生まれる。現代の若い人は何か冷めている。若い経営者が時代を担い始めて何時からか、心が無くなる一方である。
 いわゆるホリエモンに代表されるIT産業から生まれた連中だ。楽天だのカードビジネスのように金を薄くひろく集める頭を使い楽して儲けるヤツらだ。こう言う連中にはアナログの無限の生命科学は苦手中の苦手だろう。又理屈だけは一人前で、計算に合わない事には手を出さない。
 オレは高嶋科学に縁を頂き、全て逆境の中捨て身の背水の陣でやって来た。何時死んでも悔いが残らない生き方をしたいと常々考えている。故に準備万端さあ行こうではない。行動の中、学び新たな行動に移る。学びと実践は車の両輪である。

 若い連中に言いたい。貴方達の計算は何とチッポケな計算なんだ。天に宝を積む!命を捨てれば命を得る!人生何をやり何を残したかだ!その次元の計算は出来ないのか!楽して金を集めることしか考えていないのか、お茶を濁して悦に入っているんでない。たわけ者め!
 若者よ熱き心を想いだせ!

<オレは博士に縁もゆかりもない男だった。だが博士に出会ったが百年目だった。人生全てをかけて取り組むものに出会ってしまったのである。貴方も貴女も皆同じだ。貴方達を焼き尽くす火の手が其処まで迫っているのに何も感じないのか!>
 祈りの一カ月 2014/07/16
 吹けよ風、呼べよ嵐オレはシャーマンとなって天に祈る。どうかあうんの風を吹かせたまえ“黄金の風”を、人間どもの業想念、悪想念の黒雲を吹き飛ばし蒼き清浄の地へ導かんことを・・・オレの農場に何時からだったか青い旗がたなびいている。これはオレの祈りの象徴であり想念を具象化するためのアイテムなのである。
 雑感から離れ祈りの一カ月間だった。それにしても、科学技術の進歩はめざましいが、それに反比例するかのように精神の堕落は目に余る。直線的思考の罠にはめられた人間の感情想念何故だろうか

  人間は誰しもが自分が一番正しいと信じている。正しいとは自分にとって一番良い(損得の得)という意味の正しいである。故に泥棒でも人殺しでも自分にとって一番正しいと信じてやっている事である。世界の紛争も個人の争いも全く同じ思考方法である。
 そこでその思考回路から脱却する為に「人は皆自分が正しいと想っている」と言う事を噛みしめてみてほしいのである。すると貴方の心に余裕が出る怒りの想念が幾分か弱められる。正しいと正しいがぶつかり合って傷つけあい殺し合うのである。
 小学校一年生の算数の一+一の人に微分積分を話してみてもちんぷんかんぷんである。この人はまだ幼い学ぶ機会が無かったのであのような馬鹿な事をくり返している。あ〜気の毒にあのような馬鹿な事をやっていれば何時しか自分に還って来てとんでもない苦しみを味わうだろうに可哀そうにと想えば愛情さえも湧いてくるものである。

 オレは人と意見が違っても怒ることは無くなった。(怒るふりをする事はあっても心は冷静である。)オレの考えのメッセージは送るがそれを受けるも無視されるも後はオレには関係ないオレのやるべき事伝えるべき事は伝えた。後はその人が判断して決めることでどうぞご自由にという事である。
 想念が全てであり、心は天国を作り又地獄をも作る。相手が怒ろうと自分は冷静でいる事である。
 次に「人間は自然の一部生物生存の原則を守るべし」天の法に従って生きることが全てであり、その事を具象化するあうんユニットに係ることが最高最上の生き方なのである。
 人生には千載一遇のチャンスと言うものがある。それを逃したら二度とめぐり合えない。博士との縁がそれだった。時代を見る先見性がなければ逃す事になる。それは日々の祈りによる神との対話である。  
 宗教と科学 2014/06/09
 何時だったか博士が柳田さんには仏教が根底にあると言われたが、以下のメールで納得した。真の仏教は科学そのものだと知った。この御方は真の仏教者である。 

 宗教とは強烈な無条件信奉性を生じさせるシステムで、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教など に示される強い一神性です。汎神教(世界のすべてのものは神の現れにほかならないと する宗教)も一神教性を持っており、人心を引きよせ、くくる仕組みをしています。

 宗教は英語で「Religion」原義は「結ぶもの」です。強力に括ることを意味します。

 仏教は真理、悟りですから「仏教=科学」が真相で、究極の解放で自立しきることです。“清々しく宇宙空間独りぼっち平然”のようなものです。

 一般は殆どを迷信、妄想を頼りに生きておりますから、依存し括ってもらいたいのです。
 
 仏教のように全てから解き放たれ、自立する事には耐えられないわけです。このため仏教は本当は宗教ではないのですが、宗教性(苟且)「結び」を持たせています。

 理念の仏教=社会的に妥協する組織維持仏教は迷信の容認部分「信仰面」を多少持たせることになります。この程度は然程問題は生じませんが、深い悟りは得られません。

 仏教の教えは「信じる」ことではありません、何事も「確かめる」事で、悟りに至るには決して見落とせません。

 檀家に
 
 「信ずる者は騙される」
 「確かめる者は救われる」

 と話すと、みな納得して笑います。 

 お釈迦様は、インチキ宗教の教祖のように、私を信じなさいとは絶対に言いませんでした。いかなる権威にも、古い言い伝えも信じるものではないと明確に述べておられます。
 様々な例題の答えを出させ、本人に確信を得させるのです。
 これでたちまち悟りに到達した方が、続出したことが伝えられています。二度とお釈迦様に依存せずに済む、申し分のない自立の教えだったわけです。
 
 信ずるのが宗教性です。リスクを伴いますので選択性が必要です。(私はいいとこ取りします。)
 確かめるのが科学性。中々大変です。(信条の維持が回答の近道です。) 
 両面揃わないと、無意味です。

 欧米一神教の生命観は、微生物は下等生物。神は人を支配し、人はそれ以下の生物を支配するものであるとしています。
 多神教やことに仏教では、一切の生命は平等です。数秒間の命しかない微生物も、300年生きるウミガメも数万年の寿命を持つ神も等しい命です。完全無欠の永遠の命は存在しません。
 諸行無常、諸法無我とは、物質は現象の一時を感じるものに過ぎないことをいっており、現象があらゆる感覚(質量も)を千変万化し見せていて、固定化した存在は一切無く、もしあれば一切の変化が存在しないことを指摘しています。

 仏教はこのように徹底していて、神も人も微生物も全ての命は名実と共に平等となります。

 人の構造を科学的につきつめると、60兆もの細胞群の集合体です。この何倍もの微生物が住み込んでいる組織体です。宗教観(中東発、西欧思想)は支配概念であることが解ります。
 仏教観はあくなき真相の実態観で、身も蓋もない透徹した観性です。このため私の側から決して布教しません。本人の並々ならぬ意志に手助けするだけです。
一般には生活に生かす視点を伝えるべく、実証を追求しています。

<何とさわやかな清らかな気持ちにさせてくれるのだろう、迷盲の闇を吹払う気持ち良さだ。オレは“馬鹿丸出しの自由自在心”が真情(偽らない心)だが、これぞ仏教の真髄なりである。するとキラリ光る真実が現れるのである。>  
 ミンミン蝉と政治 2014/06/07
 
 人間として物事を考えるとき常に相手の立場に立ってものを考えなければならない。

 政治とは事実よりも現在を優先するものなり。

 起こっちゃった事は仕方ないじゃあないか!オレのせいじゃあない。原発の実情を明らかにしたら誰も福島の原発終息の作業をする人はいなくなるだろう。又狭い放射能汚染列島日本、一億二千八百万の人々は一体何処へ逃げるんだ?

 「福島原発は完全にコントロールしています。」の安部総理のオリンピック招致演説は政治家としての使命を果たす絶好の場だったのである。

 この世で良いも悪いも無い!あるのは創造主の夢芝居で我々はそれを演じている役者なのである。
 政治家には政治家の正義があり民衆には民衆の正義があるのである。

 ミンミン蝉の命は三日だと言う。その三日をミンミンと精一杯生きぬけばそれで良い。

 
<何時来てもおかしく無い大地震、四号機の建屋が壊れ、あの乱立した巨大な墓標のような汚染水が流れ出したら一巻の終わりである。人生なんてそれほど危ういものだ。今日一日ミンミン鳴いて命を謳歌しようではないか!そしてミンミン限りある命の謳歌を邪魔されたら、ションベンの一滴でも顔にひっかけてやれ!>
 人材集結一例 2014/06/07
 オレの所は地球維新の百姓塾である。巷における微生物研究をしている凄い人もいる。

 以下
 
  植物の養分は無機質であるとされていましたが、実際は植物にキレート、錯体として合成吸収されていることが解ってきました。これであれば微生物によって合成された有機物の方が、質の良い養分となります。
 
  鉱物、植物にかかわらず微生物が分解合成していない養分は、植物にとってはまずい食事のようなものになるわけです。
 
  肥料三要素、二次要素、微量要素などの概念は、生育プロセスを掴めない、原子の部分羅列の意味しかなくなりました。
 
  近年、土壌発酵に関する巷の研究が著しく、急速に進歩を遂げています。PCプログラム、遺伝子の読み取りが当たり前の世の中で、膨大な微生物界の様相も分類、掌握が苦にならなくなって来ています。
  
  最先端のデジタル顕微鏡で、発酵菌、土壌菌を調べる農家がかなり出てきています。面白くなってきました。
  高嶋博士のように、微生物でセシウムを消すことが出来ると発信する、「地球家族2020」なるグループもあります。
  一昨日福島県のパワースポット、萬歳楽山に行ってきました。放線菌たっぷりの腐葉土を採取してきたので、この葉を煮て、光合成菌の培養を始めます。
 
  PC、デジタル顕微鏡を駆使し、手軽にこうした大学レベルの研究が農家で行われることは、10年前では考えられませんでした。
  様々な菌液、糖類、もみ殻、米ぬか、稲藁、蟹殻、キノコ菌など取りそろえ、麹菌発酵、納豆菌発酵、乳酸菌発酵、放線菌発酵、光合成菌発酵と全てのプロセスをおこない、ビタミン、酵素、キレート、錯体、多糖類の養分で植物を育てる試みに私も進むことにしました。
 
  この過程は化成肥料も有機肥料も分解しきって、合成するプロセスで、連作障害の起きない土壌作りの手立てです。腐る事がなく、栄養、薬効が有る野菜、果物、穀物を育てられる土壌です。
 
  江戸時代の循環農業が高度化学化し、病気を起こさない若返り作物を作り出してゆくことが広がっています。木村さんから学んだこと、国見市の佐藤さん、柳田さん、高嶋博士いずれも当代の最先端を走っており楽しいです。最近の日本では、こうしたかなりの数の研究者が目白押しです。
 
  私も何者かに突き上げられるように、連動するかのように研究に突き進んでいます。
 
  このため、体調をフルに安定化させる為、全食材デトックス、順番食、炭水化物コントロール、特殊パルス波体流、足底デトックス、高濃度水素水飲用、7.83HZ波・電磁波障害解消を平行して行っています。かなり多岐に渡っていますが、この程度は序の口です。
 
  これから熟睡電磁波、二酸化塩素を導入し感染菌の処理を整えます。することは沢山ありますが、遺伝子修復(老化ブロック)の導入を目指しています。
 
  微生物、循環農業に係わる仲間は寿命200年時代に向かっている、最も有意義な方々です。よい情報を交換して参りましょう。
 柳の木の下百姓塾 2014/06/05  
 “柳の下の泥鰌(どじょう)”ということわざがある。一度柳の木の下でどじょうを捕まえたからといって、いつも柳の木の下にどじょうがいるとは限らない、たまたま幸運なことがあったからといって、いつも同じようにそれを得られるわけではないという意味である。

 今、あ・うんの会が動き出した。地球維新が柳田ファームから動き出した。以前博士がオレの科学は日本では柳田ファームが起点となると言われた事があるがもしかして真実かも知れない。
 明治維新は吉田松陰の“松下村塾”から始まったが地球維新は柳田ファームから始まるかも知れない。今優秀な人材が続々と集結している。 オレは此処を地球維新の人材の育成と複合発酵あ・うんの展開の拠点として全力を注ぐ所存である。よって此処に松下村塾を越える良い名前を付けなければならない。

 するとすぐに閃いた!名前が“柳の木の下百姓塾”だった。勿論塾長の吉田松陰はオレである。しかし今回の地球維新は明治維新の比で無い。小さな日本から大きな地球規模の将に地球維新だから、オレ一人ではとても間に合わない。仲間の七人全て吉田松陰NO1・NO2・NO3・・・・NO7七人の松蔭といこう。
 しかし彼らは死を覚悟して事に当たれるだろうかそこは少し心配である。 言霊と言うか名前は非常に大切であり、考えて決めるより閃きで決めるのが一番である。閃きは天から降りて来るから完ぺきである。

 これからは“柳の下の泥鰌(どじょう)”ということわざは全く反対の意味となるだろう。つまり、ある日柳の木の下でドジョウを捕まえたが、次の時はもっと大きなドジョウを捕まえたという事になるだろう。つまり我々の“柳の木の下百姓塾”は“松下村塾”など比べ物にならない程大きな働きをするということである。

 人材集結一例

本日は事前連絡もなしに突然お伺いしまして大変失礼しました。
また、ご親切に浄化装置など案内していただき
さらには人生についてのお話等、親身にしていただき
大変ありがとうございました。
 
母とともに柳田様の暖かくも厳しいお話を伺い
柳田様の真摯なお人柄に感激しております。
 
私などはまだまだな小僧同然ですが
高島康豪 博士の技術は、やはり人間社会に大いなる
光明をもたらすものであると思います
 
あたらしい真理の発見は世に認められる際に
常に大きな軋轢をも生じます
 
現在の日本は、西洋科学を妄信するあまり
あまりにも貧しい倫理観の人間が多いのです
 
おてんとうさんの働きの一部を科学で解いて
それで何でもできるということにはなりません
 
私も微力ながら、危機にある社会を変える力になりたいのです
 
どうぞよろしくお願いします
 
 答え一発! 2014/05/27
 答え一発!カシオミニというコマーシャルがあったが、オレが提唱したあ・うんユニットは複合発酵の妥協策と思ったら大間違いだ。これから世の中を変えて行く偉大な働きをする将に答え一発!あ・うんユニットである。

 全てはこれに集約する。複合発酵を手を変え品を変えて説明しなければ愚かな大衆は理解できない。愚かな大衆の中に勿論、学者や知識人も入っている。いわゆる学問を越えた悟りの境地に行かなければ理解できないのだろうか、困ったものである。 

 天は大衆を理解させるために順序だって誘導するメッセージを送って来る。
 アニメ宮崎駿の“風の谷のナウシカ”を通してミイちゃんハーちゃんから初めて、“奇跡のリンゴ”の木村さんの純朴な百姓の忍耐力をもてあそぶがように長い年月時間をかけて土の大切さを教える。そして“アナスタシア”のセクシャル陰陽の引き合う力を利用して、生命情報、将に天地創造の深い所へ誘導している。
 そして極め付きは高嶋博士の生命科学インテリジェンス・バイオテクノロジー複合発酵が全ての答えなのである。 オレはそれらを全て集約して答え一発!あ・うんユニットといっているのである。

 高嶋博士は天才科学者の中の天才科学者である。博士の科学に基づいた宗教哲学の話は何度聞いても飽きることは無い。又天下一の説法演説の大家でもある。
 しかし凡人は天才の凄さを理解出来るが天才は凡人の愚かさを理解出来ない。だがオレには大衆の愚かさは良く解るだからあうんユニットのアイデアを提案させて頂いたのである。 

 このあ・うんユニットは病んだ命を蘇らすだけに非ず、人の心をも変える力を秘めている。自由な発想と命を捨てれば命を得ると言うような真の勇気をもたらす。
 オレは良く知人から柳田さんは随分変わった昔からみたら全く別人のようだと・・高等尋常小学校卒業の無学な男で小心者だったオレがである。 

 あうんユニットは世界平和をもたらす。例えば安部総理の家にあ・うんユニットを設置し、韓国のパク・クネ大統領や中国の国家主席・習近平(シュウキンペイ)を招き、あうんトイレを使って頂き、その出来た水で乾杯(カンペイ)とやれば遺伝子のその奥の生命情報という次元の融合の働きにより理屈抜きに仲良くなり、竹島はお返します!尖閣は日本の固有の領土です!と言うに違いない・・・とオレはみる。  

  あ・うんユニットは全自動のバカチョンカメラだ。しかし、偉大な働きをするバカチョンカメラである。

<仲の悪い者どうしが同じ釜の飯を食い、同じトイレを使う事により微生物たちは喜ぶ。毒なもの程素晴らしいエネルギーになり、仲が悪ければ悪いほど複合発酵のエナジー水は力を増す。> 
 忍び寄るボケ 2014/05/15
 発会式を終えてエネルギーを使い果たしたのか、オレのイマジネーションはほとんど湧いて来なくなった。雑感をたまに書かなければホームページの検索数は減るし、自己責任の奇跡の水の注文が減り、オレはおまんまの食い上げになる。
 最近とみに体力知力の衰えは隠せない。以前は女性を見れば多少は反応したものが最近はほとんど動かない。寂しい限りである。
 ある寝苦しい夜の出来事である。オレの魂が身体から抜け出して日本列島はるか上空から北は北方四島から南は沖縄まで見下ろしていた。アメリカ映画の女優シャリーマクレーンがペルー、アンデスの温泉に浸かっている時に魂が抜けだして、どんどん宇宙へと昇って行き地球が丸いのを確認したと言うベストセラー「アウトオンアリム」の一節である。
 それとは違いオレの場合は心技体バラバラの状態での幽体離脱だった。それは将に老人の徘徊そのものだった。北方四島と尖閣諸島、竹島の上空では身体が具合悪くなり吐き気を催した。人間のカルマが渦巻いている場だった。埼玉のオレの農場の上にさしかかると何と失禁をしてしました。懐かしさのあまり小便を漏らしてしまったのである。
 このような状態でこれから人生本番の高嶋科学の人類救済科学展開に支障が無いものか凄く不安である。その時閃いたのがスタップ細胞のおもかたさんである。
 若返りの万能細胞で是非第一号はオレを実験台にしてもらいたい。国家権力などに負けないで頑張って頂きたい。コピー貼り付けが何だって言うんだ。今の文化そのものがコピー貼り付け文化でないか。気にする必要全くない。
 オレの寿命を後30年延ばして頂きたいのである。家庭からの複合発酵あうんユニット展開にはその位の時間がほしいのである。
 多分スタップ細胞の培養液に重要な意味があると見ている。オレの作った宇宙エナジー大自然エナジー水を培養液に使ってみませんか!おもかたさん!

 オレは一人暮らしで、寄る齢なみに忘れることが日増しにふえて来る。昨日あった人も今日会えば誰だったか忘れ去り、とぼけて、そうですね先だっては、“ご苦労様でした”“有難うございました”と言いながら記憶は定かでないのである。
 最近はよく洗濯ものを取り込み忘れする事がある。実は先日“嬉しく無い奇跡”が起きたのである。またもや洗濯ものの取り込みを忘れたが昨夜は星空で風も穏やかに吹いていた。所が何と洗濯ものがびしょぬれだったのである。そうだ、オレが夢か現実か?日本列島上空を徘徊している時に漏らした小便が雨となりオレの洗濯ものを濡らしたのである。オレは今もそれを奇跡と信じている。
 人類救済のトライアングル 2014/05/01
 はるばる来たぜ函館〜ほれた女に逢うために逆巻く波を乗り越えはるばる行くと言う。北島三郎の“函館の女”の一節である。性欲と言うエネルギーの強さである。(何だと“函館の女”は男が女を想う愛の歌だと・・甘い事を言うので無い!性欲の強さを歌っているのダ!発情をもよおしただけの話だ。)一方は“百匹目の猿”の話であるが、さつまいもを海水で洗って適度に塩を利かすと芋の甘さを引き出し、いっそう旨くなる。食欲というエネルギーの情報伝播の力である。

 もう一つ我が人生の目標の高嶋科学展開の“環境欲”と言うのは無いのか?もしもあるならもうとっくに展開しているであろう。この物質世界は欲が支配している。世の中に広めるには欲の次元に乗せなければ展開は望めないだろう。宇宙はエネルギーだ全てはエネルギーの次元で考えなければ目的の成就はあるまい。
 
 お金や物、物質的欲の支配下にある人間の物差しは変わらない。平和平和と言いながら考え方はあいも変わらず相対的思考方法の呪縛から一歩たりとも出ていない。世界はますます混沌として大調和世界顕現から遠ざかり人類滅亡はそこまで来ている。

 そこで今、世の中に反響を起こしかけている情報に宮崎アニメの“風の谷のナウシカ”そして“奇跡のリンゴ”の木村さん、そしてロシアの“アナスタシア”である。
 「ナウシカの大地との絆を取り戻し蒼き清浄の地へ導かん」と「木村さんのリンゴにおける無農薬無肥料の自然栽培の証明」そして「アナスタシアの生命情報という深遠なる宇宙的生命情報の真理」この三つをつないで一つにするのが高嶋博士の複合発酵なのである。

 このトライアングルの中心が高嶋科学でありこれらが一つの情報となり複合発酵あ・うんユニットが展開する時、世の中が変わり始めるのである。アナスタシアは将に環境欲に高める決め手になる。
 
 そこでオレは手を打った。黄金の金玉を知らないかの玉蔵氏にこの話をした時にアナスタシアはまだ読んでいないと言う。それなら是非読んで下さいと・・・そしてその話をブログで発信して下さいと・・・。  
 半眼 2014/04/30
 小知才覚で事を成す事は出来ない。戦国軍師の猿知恵などで地上天国が出来る訳が無い。大局に立って天の意志を我がものとしなければならない。センサーを働かせ天の意志を受信することである。具体的にどうするかである。
 
 昔、死神に魅入られ地獄の底へ引きずり込まれようとした時に、何時も暗い気持ちになり地面ばかり見ていた。ある時に天を見るようになったら天から陽気が振って来て、たちまち明るい気持ちになった。姿形から入ることがこの世の法則に合致する。すると仏や聖者の目に着目した。半眼である。
 
 半眼(はんがん)とは読んで字のごとく、眼をなかば開くことで、仏教的にいえば、半分は外(の世界)を見、そして半分は自己を見つめる、あるいは目には見えないものを見る(考える)ということらしい。
 確かに目をつむれば暗くなり見えないが、尚の事想念が頭の中を駆け巡る。目を見開けば想念は局所的な所へ入って行く。要はありのままが一番良い。行雲流水の心である。外の風景も自己の想念も“移るもの己ず移りて己ず消ゆ、己は澄みて清らかなり”の心境である。
 
 確かにオレはものを考える時にその心境である。雑念も出るがままにまかせておけば何時しか真の自分に出あえるものである。その時、確かに目は半眼となっている。
 先ほどの半眼の解説には、半分は外を見て半分は考えるとあるが、それには天からのメッセージが入ってくる事が抜けている。そこが重要なのである。人間の損得では無く、天の法に照らし合わせ、天のメッセージによる答えが出たなら、それを断行する!他力本願、全てを明らかにすることである。

 <昭和のタフガイ裕次郎はイカス男だが、平成の柳田大明神は“柳に雪折れ無し”風が吹いても嵐でも揺れる柳の木で心は決して折れない。全てを天に委ねて決めたらやりぬく、そして全てを生かす。“生かす”男でなければならない。全てを生かしきることが、生命の存続であり永遠の循環である。>
 地球維新 2014/04/22
 発会式の挨拶で、一人百姓一揆のオレを助けに来た七人の侍と黒澤明の“七人の侍”をもじって仲間の七人を紹介した。

 東大卒業の男性でロシア文学を学び、今は学問より肉体労働の百姓だとファームへのボランテアに何度助けられたことか純粋そのものの男である。次に渋谷の駅から5分の所に事務所を構え相続税対策の本を書かれている頼りになる公認会計士さん。
 次に埼玉で特別優秀高の高校の英語の先生で今後あ・うんが世界展開する時に英語が役立つはずである。同じく高校の書道の先生で百姓塾の“行雲流水”書を書いて頂いた白隠禅師に傾倒しているお方である。
 次に環境に良い家づくりの内装の会社を経営している人で,さすが細やかな事に気づき今回の発会式にも具体的アイデアをだして行動そのものの人である。次に今はハイテクITの時代オレがパソコンに戸惑っていると夜でも車で1時間以上かけて駆けつけて修復してくれる心やさしい青年である。
 次に忘れてならない今日のあるのはこの人の御蔭である。博士の所で15年人類救済科学一筋に全てを投入してオレが環境維新の会やバイオマシーン今日のあ・うんユニットの具体化もこの人の協力あったからこそなのである。

 実は実はである。もう一人重要な仲間がいるのである。G−7プラスTが我々同志の本来の姿である。
 その1はあ・うんの会を仲良しクラブと勘違いしていたのであったが、そうでは無いと指摘され自ら修行の旅へ旅立って、今はいずこの空の下か何時も案じているのである。
 我々は地球維新の志士であり、彼は将に坂本竜馬の役を演ずる人材である。今日まで国政の国会議員の選挙参謀やら事務局長など歴任したつわものである。どこかの空の下ノートパソコンでオレの雑感を読んだら帰って来てほしい。
 
 今後我々百姓塾に多くの人材が駆け参じてくるはずだ。
 奇跡のリンゴの木村さんではないが全ては“天の采配”だと想っている。
 発会式に参加された中に西郷隆盛、南洲翁となるべく人を発見した。その人は南洲の前に南洲無し・・・南洲の後に南後あり・・何と南後さんという風格あるお方に出会えた。
 この方は今後支部となり働く人だと・・・オレの直感は外れない。

 明治維新は20代30代の若者だった西郷さんにしてもオレの約半分49歳で戦死されたのである。地球維新は若いものだけでは成就出来ない。
 人生経験を積んだオレみたいに煮ても焼いても食えない年寄りでなければだめだ。オレの事をナメたヤツは皆、食当たりして下痢をした。平成の坂本竜馬も還暦を越えて60数歳、南後さんもおそらく80前後だろうか年齢に関係なく人材は全て受け入れるつもりである。
 発会式 2014/04/21
 イベントは終わった。発会式にイベントが終わったはあるまいが、何故かその感覚である(疲れた)。4月19日はネットでは明かさなかった。集合意識と言う汚れた想念の邪魔を防ぐためだった。
 
 今回の“あ・うんの会”本部のファームは明治維新の松下村塾の役割を担うであろう地球維新の百姓塾である。集会場作りに工夫を凝らし農場全体を花いっぱいにした。それは高嶋科学人類救済に死を決した男の死後の世界をイメージした作品作りでもあった。
 この世とあの世の間を流れる三途の川の向こうにはお花畑、手前の集会場はこの世であって天国地獄のより別けのシャバでもある。
 つまり此処の松下村塾ならぬ百姓塾であ・うんを導入する人は天国、吉田松陰のオレをいらつかせ時間を無駄にさせる人は地獄(本当は天国も地獄も無い)集会場の百姓塾の壁には白隠の達磨が地獄の閻魔大王のように睨みをきかせている。
 
 早くも発会式の当日それは起きたのである。あるヘンな女性が博士にヒヨリミ菌という微生物の質問した。すると博士はヒヨリミ菌という菌はいませんと答えた。天才の博士はオレが用意した大きなホワイトボードいっぱいに奥深い話を凡人に解るように工夫をしながら手を変え品をかえ高次元世界を格調高く又ユウモアを駆使して面白おかしく説明する。するとヘンな女性は博士に注意をした。博士の書いた字の善という字の上の方がチョンチョンが一つ余計だ間違っていると指摘したのである。
 どうでも良い話だがその女性は確かに余計な事を言う人だった。初めにオレの所へ訪ねて来た時も遠回りな話しにイライラして見かねたご主人が割って入り理路整然と説明をした。多分御主人は何時も悩まされているのであろう気の毒にと想ったものである。

 このような事を書くとお叱りを受けるかも知れないが人間複合発酵を百姓塾の柱にしている塾長としては取り上げない訳にはいかないのである。
 しかし、役割を終え車でもって早々にお帰りになる博士は、ニコニコ笑い窓から手を差し伸べてその女性と握手をされて何か言葉を掛けていたが残念ながら聞こえなかったのである。
 この女性のお宅はあ・うんの導入を検討している様子なので、あ・うんを入れれば彼女のヘンな所はあ・うんの宇宙エナジーダークマターの作用で治ると確信している。

<多分オレの読みとしては、あの変な女性はヒヨリミ菌の仇打ちで、博士の字の間違いを指摘したに相違ない。>
 挨拶 2014/04/18
 後数日にひかえたあ・うんの会の発会式で、オレが挨拶やらぬわけにはいかない。どうこうの係りは関係なく、オレの話は効果的だと指摘されたからである。新潟の講演の時も柳田さんの体験に基づいた話は解りやすいと好評だったからである。
 
 挨拶とは何だろうか、想いだすのは入学式、卒業式、社会人となってからも挨拶ほどつまらぬものは無い。何故か形式だけの心の無い話しに、時間だけ無駄にするつまらない習慣だからである。
 人の話で心ある話とは科学的に言えばエネルギーあり静と動、パワーと霊妙なる波動に満たされているのだと想う。当然その話は楽しく興味深く耳を澄まし聞き耳を立てることになる。
 昔、映画評論家で淀川長治という“さよならオジサン”がいた映画を鑑賞した後、皆さん面白かったですね楽しかったですね・・・後はサヨナラ・サヨナラ・サヨナラ・・・・実に感動を伝えて来る解説者だった。映画が好きで好きでしょうがない。実に心があるからである。つかえ間違っても気持ちがあれば人に伝わるものだと想う。
 博士は前もって話を用意していない。その場の雰囲気聴衆者の想念を読み取り今どんな話を期待しとぃるかその人達のレベルにあった話を瞬時に決めて話すのである。
 
 オレは一人、親戚づきあいも友達付き合いも近所付き合いもせず、変わり者であるから、人前で話す事はほとんどない。しかしつまらない挨拶だけはしたくない。だから何が起きるか全く解らない。急に頭が真っ白になり、皆さん今日はエー、エーエー、皆さんサユウナラ・・さ・よ・う・な・ら×○△□でも良いと想っている。むしろ真っ白になり慌てるか狼狽する姿は人間くささがでて正直でむしろ感動させるかも知れない。怪我の功名といって全てはありのままで良いのである。
 性エネルギー 2014/04/16
 人間生きていれば必ず良い事も悪い事もある。光と影のように・・・でなければ物語が始まらない。神は天地創造から始めて物語を作ろうとしているのである。我々は悲喜こごもも神々の夢芝居の役者である。だからオレは面白い役柄を演じているのである。
 
 具体的に言うと猫のシロチャンが今朝帰って来たのである。オレの心配をよそに涼しい顔をして、何事も無かったように何時もの寝床で寝ていた。
 タマ抜きをして発情はもよおさぬはずだが、春になると想念はメスを求めるのだろうか、人間も性犯罪を犯した者は去勢という刑を科すのが良いと想うのであるが、シロチャンのように春になると・・いや一年中女を求めるのだろうか、キリストは思ったら実際行動を起こしたと同じと言った。だとすれば男は全て性犯罪者で去勢をしなければならない。
 オレのようにさすが100歳も越えるとそれは無くなるようである。いやそれは違う。人生に重要な目的があるから無駄なエネルギーをわずかでも使いたくないのである。
 以前若者の気持ちを歌謡曲の“小樽の人”に乗せて♪やり〜たい〜気持ちが〜まま〜あならぬ♪と雑感を作った事があるが将にままならぬのである。神がその様にお作りになったのであり責任は神にあると言えるのである。
 
 しかし、全ては意味があるのであって、どうコントロールするかにかかっている。食生活を正して心身の健全化を目指して欲望のエネルギーを清らかなエネルギーに変えるのである。そして天の仕事あ・うんユニット普及に全力投入するのである。
 
 猫から学ぶ 2014/04/15
 いったい何が起きたのか?この得体の知れない脱力感、あ・うんの会を数日にひかえて、オレを無気力にさせるものは・・・実は一昨日からオレの猫のシロチャンがどこかへ消えてしまったのである。
 ネズミ対策でもらってきて6〜7年は経つだろうか名前の如く白い猫でオレの作った大自然水を飲ませているせいか、その白さは輝くような美しい白さだった。その上その性格は愛らしく人間を心より信頼して誰が来ても足元に寄っていっては身体をすりつけるのである。特にオレに見ると仰向けに寝て足も手も伸ばし腹をくねらせて無防備そのものの親愛のポーズをとるのである。
 薄暗い夕方になると特に気になる。誰かが行儀悪く鼻をかんで捨てたちり紙を見ても又薄暗い黄昏に浮かぶ白い花を見てはオッ!シロチャン!とオレの心をもてあそぶかのように悩ませる。
 どこぞのあばづれメス猫にたぶらかされたのか、それとも車が好きで誰彼の区別なく窓があいてるものなら乗り込む習性があるから乗り込んだのか、その日来たお客さんの事を想いだしながら、もしかして途中で気付いてそのまま外に追い出されたのかも知れない。・・人間の心の内側を読みながら、その様な事は無いと打ち消しては又考える。
 生きているのか死んでいるのか、どこかの遠い空の下見知らぬ土地を腹をすかしてさまよっているのか又はすでに死んでしまって薮(やぶ)の暗闇の中か、何処かの家の縁の下で骸(むくろ)となっているのか心配しているのである。
 親の有り難さは亡くなって初めて気づくと言うが猫も同じである。つまり人間動物の区別なく愛するものがいなくなると同じ感情が起きるのだろう。

 オレは日々起きることは必然の天のメッセージだと考える。すると閃いた。
 博士が言った人間大事な事は「何を想い何をやり何を残したか」の真実の意味を猫のシロチャンから気付かされた。
 何を残すと言うと形ある物を想ったり善も悪も善悪混交した行為事柄をさすと考えるが違うと気付いた。
 それは永遠なるものこそ真に残るものであり、それは我々の生命の根源そのもの愛と言う名の本質にイコールするものが何を残すの真意なのであろう。
 猫のシロチャンはオレに愛と言うものを教えてくれた。
 あ・うんユニットこそ目に見える物質界と目に見えない生命の根源世界、双方に愛を示す最大最高の手段である。
 発会式に向けての企画 2014/04/09
 如是我聞ある時博士が言った。愛だ感謝だの言う奴程、愛も感謝も無い!と・・・オレもそう想う。身に着かない上っ面の腑抜けたことを言う奴らに世の中を変えることが出来るはずがない。この世は戦いである。
 ガンジーやキング牧師の無抵抗不服従運動にしても又南アフリカのアパルトヘイトに戦いを挑んだマンデラにしろ不屈の闘争精神あるが故に勝利した戦いなのである。
 今回の発会式も、その精神を根幹に企画しなければいけない。

 真の戦いは死を覚悟しなければ戦えるはずが無い。死を覚悟した人は静かであり冷静沈着である。その背景作りにオレは心を砕いたのである。
 ファームの周りを花でいっぱいにした。お葬式の花輪のように天国の花園のようにである。ビオトープには三途の川も作った。用意万端である。
 何と言っても凄いのは庭の真ん中に鎮座するバイオトイレあ・うんユニットである。普通なら家の片隅に隠すように設置するのが本来のトイレであるが、皆が集まる集会場の窓のすぐ側にある。そこには大きな看板にトイレと家庭菜園を連結させた阿吽の深い意味のイラストが解りやすく掛けられているのである。
 
 次に会の進めかたは自然体でいこう。博士はそこに集まった人の想念を瞬時に読み取り、その人達が何を求めて何を聞きたいか感知してその内容の話をする。だから、この場にふさわしく目的に沿った内容になるだろう。
 
 オレがやらなければならないのは、会を始める前とトイレ休憩兼お茶休憩と会終了後をどのようにするかである。昔 勤めていた会社の音響製品のステレオが会場に置いてある。これを活用して雰囲気作りをやろう。本当のアナログの音を聞かせてあげよう。
 人間の可聴域を越えた黒いドーナツ状のレコード盤は、五感を越えた六感に働きかける。しかし今回は目的をもった発会式であり、前述のように戦いであるから進軍ラッパのように各自の心に働きかけて鼓舞するものでなければならない。数あるレコードからその目的にあったものが見つかった。それはウエスタン映画のバックミュージック、荒野の用心棒や真昼の決闘がピタリである。
 
 次に大事なことは飲食である。本来なら人類救済科学展開の為の発会式なので、貴方の子供や孫、貴方の為の会でもあるから会費を集める所だがオレは合同会社あうんでもとうと決めたのである。
 飲み物はサイダーとコーラーでさわやかにシュワット攪粋を計り茶菓子は地の塩になりなさいの塩の効いた煎餅でにしよう。後は軽食で辛味の効いたカレー味の豚肉のサンドイッチにしようか、何れにしろ刺激を与えやる気を起こさせ活性化させる事が大事である。心身を弛めやる気を無くす甘いものは極力避けよう。 このようにオレは考えに考えて企画を練っているのである。

 あまりの気配りに感動して腰を抜かしたとしても、オレは責任を持てない。
職人技 2014/04/08
 オレは発会式に向けて準備に忙しい。ビオトーブのせせらぎの小川の補修も万端、一面のお花畑の手入れもそこそこ万端、そうだ数百人のお客さんの下駄箱を用意しなければならない。下駄箱はどこを探しても小さなものばかりで用を足さない。ふとホームセンターを見て回ると手頃な本箱があった。何と4500円消費税の上がる前の駆け込みの大きな買い物である。高さ180センチメートルはあろうか奥行きも30センチそこそこ、これはいける清水の舞台から飛び降りる気持ちで大枚を叩いて買い求めたのであった。
 実際組み立ててオレの唯一よそ行きの一足の革靴を入れて見たがどうもおかしい。考えると1.8メートル人間の背丈の高さまで土のついた靴が上から見下ろしているのは如何なものかと思案に暮れた。布のカーテンではあまりに芸が無いし、オレの美的センスが許さない。
 困ると必ず閃きが起こり、アイデアが出て来るのがオレだ。それはシュロ縄ののれんだった。先には竹をつるせば良いと又閃いた。
 実際やってみるとシュロ縄は細すぎて絡むし向こうが丸見え、どうもちがうな又考えた。すると昔の人は縄を自分で編んでいたのを想いだした。1センチぐらいの太さがほしい。オレにも出来ない訳が無いと、そこでシュロ縄ひと巻き2千数百円を追加で買ってきて編み出した。
 此処からが将に職人技だった。オレの干からびた手は水気は無く滑って縄をよることが出来ない。唾を付けたが年老いたオレの体液は干からびて唾もろくに出ない。そこで洗面器に水を張り時たま手のひらを濡らすと具合良い。まずは科学的に何故縄がなえるのか理論から入って行った。お互い同じ方向へよったものが交差して自然に噛みあって元に戻らない理屈を頭で理解した。次にオレの手のひらの大きさと肉厚が大きな特徴となって縄の出来栄えに影響をする事に気がついた。手だけでは無い。片方の足で縄の一方を踏んで固定しているオレの身体全体が崩れて芯が振れては旨くいかない。野球や相撲その他あらゆるスポーツに共通する事である。
 実に奥が深く皆さんにはとてもついてこれないと想うから割愛させて頂く、色々試行錯誤で縄をなって行くとついに無心の境地にたどり着いたのである。身体が自然に反応して、オレが縄を編んでいるのか縄がオレを編んでいるのか解らなくなってきた。不思議な世界へ入って行ったのである。これぞ心技体が一如となって空になり、もはや其処にはオレという自我は消えていたのである。
 書 2014/04/08
 弘法大師、空海は弘法筆を選ばずと言ったそうだが、オレは筆を選ばず紙も選ばず、その筆も毛筆で無くても毛がついてさえいれば何でも良いと考える。
 発会式に向けての集会場の達磨画は以前高嶋酒造のお稲荷さんのお祭りに頂いたものだが、紙にしわをよらせたままでは申し訳が無い。そこでインターネットで表装 にだした。すると達磨画の入っていた安物 額は以前のホームセンターで買ったのだが捨てるのはもったいない。そこでオレは今回のあ・うんの会の阿吽と言う文字を書にしようとヒラメイタ。
 そこで回りを見渡すとオレのマイカー軽トラックの洗車ブラシが目に入った。ふと下を見ると読みかけの新聞紙があった。よし!これでいこうと洗面器に墨汁を入れ、そこに洗車用ブラシを入れると見るや一気に阿吽と気合いもろとも新聞紙に書きあげた。そのままでは面白く無いので赤い朱墨で上部にオレの手形を押して、そして阿吽の下部に足形を押した。
 
 阿吽とは万物の初めと終わりを象徴し宇宙の全てを抱合すると言う意味をもっているそうである。命は食と排泄で成り立ち排泄は微生物により宝の水となり植物を育むエネルギーとなる。将に循環そのものであり循環こそ宇宙の姿そのものである。
 
 自分で言うのも何だが、オレの書いた阿吽の書はかなり出来は良い。今後のあうん展開で有名になり、人類救済に命をかけた男の書となれば数百万の値が着く事は・・いやそれ以上かも知れない。30世紀へのメッセージではないが後千年経過すれば仏舎利(釈迦の遺骨)のように夜明け大明神としてオレの指紋足紋は信仰の対象になるかも知れない。(我が人生の目的は神になることである)
 
 博士は百姓とは百の仕事をこなす人を百姓と言うと言われた。オレの百姓仕事の一つに書家というのが加わった。

 <もし良ろしければご希望の方は阿吽の書一枚一万円でおわけする事も可能で有ります。>
 失礼 2014/03/26
 「衣食足りて礼節を知る」とは、人は生活に余裕ができて、初めて礼儀や節度をわきまえられるようになるということである。
 あ・うんの会の発会式にむけて準備.に忙しい。柳田ファームへ駐車百数十台、オレの農場は公会堂やイベント会場で無い。猫の額ほどの土地も全て有効活用で多くの車を止める場所は確保していない。
 故に農場への一本道へ数珠つなぎの臨時駐車場で良いと考えている。それでなければ駐車スペース対応出来かねますので配慮お願い致しますの案内で良い。後は自己責任で近くのパチンコ屋や又は路上駐車等、遠くの有料駐車場に車を止めて後はタクシーを利用するか、安全を考えるなら電車で来るなりの各自に任せれば良い。
 すると仲間が、それではお客様に失礼だという意見があった。 そうだろうか言葉を何となく使っているが考えて見ると矛盾に満ちている。
 失礼とは礼を欠いているという意味である。冒頭に示したように、先人の教えで礼とは衣食が足りた時に初めて礼節を知ると言っている。
 我々にとって衣食足るとは平和な調和した世界を意味する。今は環境食糧あらゆる問題を抱えた戦場であり、唯一の科学でもって平和で調和した世界を作る為の戦いの場である。今は戦時下であり生ぬるい事を言っいては一歩も前へ進まないだろう。
 
 世界中の衣食の足りない人々に衣食を足りるようにする戦いなのである。集まって来る人達は“お客様は神様です”のお客で無く人類救済の同志の人達で自ら望んで集う人達なのである。
 現在のパレスチナでテロを働き失礼しました。又ウクライナでクリミヤのロシアに編入失礼しましたは言わないだろう。民族の自由と誇りと衣食を確保するための決死の覚悟での行動なのではないだろうか。 

 <オレが此処まで来るにはタイトロープな人生100年の綱渡り、貴方達が集う場を作る為に如何ほどの必然の失礼を重ねた事か、親の墓参りもろくにせず親戚友人への不義理数知れず!物事を短絡的に考えてはいけない。>
 仕事 2014/03/25
 サッカーのワールドカップでブラジルが圧倒的強さを発揮する。それはセオリーを無視した閃きによるプレイだそうである。
 又日本の国技相撲では今は寂しい事に日本人横綱はいなく外国人に相撲界は乗っ取られたようで日本の国技も地に落ちたものである。
 何故ブラジルが国技サッカーを保ち続けていて日本の国技相撲が地に落ちたかその要因の一つはハングリー精神が有るか無いかである。ハングリー精神はどこから生まれるかと言えば貧しさの中から生まれ鍛えられるのである。
 次に勝負感とっさの判断力は閃きである。閃きは天から降りて来る。愛と言う奇跡は絶対絶命状態の時、法則を破って救いの奇跡が起きるのである。閃きも奇跡も天に通じているか否かで決まる。
 
 真の王者は心技体が兼ね備わるのである。 金や物は人間を堕落させる。イエスキリストは金や物は悪魔に所属すると言っている。確かに金を持てば傲慢になり、金が無ければ卑屈になり屈折した人間になる傾向である。
 しかし、天に通づれば金を有効な道具として世の為に使いこなし、無くても返って清らかに清々しく清貧に生きられる。将に心は天国も地獄も作るのである。
 
 我々日常の生きる生業つまり仕事はスポーツ以上に心技体がそろわなければ良い仕事は出来ない。まして人類救済の大仕事は天に通じていなければ成就する事はない。人間は皆未熟者であり、この地上に降りて生業の中、気づきを起こし進化し世の中の為に働き、自己実現と地上天国の個人人類同時成道の道を行くのである。 要は問題が起きた時がチャンスで、どのように考えるか否定的に考えて去ってゆくか肯定的に考えて気づきを起こすかである。

<オレは相手と自分が理解しあうまで徹底的に話しあう。しかし聞く耳が無く自分の意見を通すなら、貴方の想う様にやって御覧なさい。しかし言うからには具体的に計画を練りしっかり結果を出しなさい。旨くいかなくて人に責任を押し付けてはいけない。現代の金や物に恵まれた環境で生きてきた人達は体験が無く頭で考えただけだから解っていない。解っていないから途中で投げ出す。いまこの時が体験であり気付くチャンスでもある。逃げてはいけない!>
 お金 2014/03/22
 お金の重さは金額にあらず、その金を得るために如何に汗を流したかで決まる。又一円を笑う者は一円に泣くと言う。浪費とお金を道具として生かして使うは全く反対である。
 オレは消費税は払うが所得税はほとんど払わない。何故か稼いだ金は道具として使うに徹しているからである。税理士がお宅は設備投資が凄いですねと何時も感心している次第である。
 何時だったか税務署が税務調査に来て、豚の飼料から肉豚出荷頭数まで、ご丁寧に取引先まで調査して行った。来た時は眼光鋭く、帰りは首をうなだれて帰って行った。その後ろ姿に何故か気の毒にさえ思えたのである。
 この世の財産と言われるものは、全て預りもので自分の物でも国の物でも無い。この大地は命あるもの、命を継承して行く未来の生命全ての物である。複合発酵のデッドゾーンは腐敗の原因になる。金も貯めれば腐り心まで腐れさせる。ところが生かして道具として使えば大きな働きをする。
 この世で価値あるものは、何を想い何をやり何を残したかである。時間の問題で貴方も貴女も皆すぐに死ぬのである。今日生まれた赤ん坊も百年もすればおよそ死ぬのである。今何をするか今が重要なのである。
 オレはこれから、あ・うんの仲間と薄利多売でビジネス展開をする。世の中を変えるにはビジネスで無ければ変えられない。全国にあ・うんを扱う支部を作り皆さんに稼いでもらう。稼げば稼ぐほど環境は良くなり大地は蘇生する。
 生命科学をビジネス化すれば経済で世界制覇も出来る。昔博士が複合発酵技術はマイクロソフトのビルゲイツを越えると言われたが当然である。

<お金、おかね、オカネ・・そうだ想いだした。過去世のどこかでオレは“おかね”という女と所帯をもったことがあった。食うや食わずの水飲み百姓だったが持ち前の不屈の精神と創意工夫でもってかなり金を残していった。すると女房の“おかね”はだんだん欲が深くなり金貸し商売を始めだした。多分潜在意識の奥底に金に対する欲望が潜んでいたのだろう。顔は美人の類だったのだが、その強欲ぶりにオレもとうとう愛想つきて離縁したのであった。女は顔より心が大事だ。私のホームページで世の女性たちはどれだけ勇気づけられることだろうか。>
 商売 2014/03/20
 如是我聞ある時博士が言った。
 柳田さんが健康ビジネスを本気でやったら結果を出すだろうね・・・と言われた。
 すかさず言った。私がやりたいのは健康より環境です。複合発酵そのものをやりたいのですと・・・。
 
 オレが金儲けだけをやろうと想えば、ルールも何もかも無視してあらゆ方式をとるだろう。ネズミ式販売方法をとりながら会員への信義を無視して直売も手掛ける。インターネットを駆使してヤフーだの楽天だのあらゆる販売の機会を逃さず、組織販売と直売りの両刀使いをやるだろう。出来るなら機会をうかがい独占販売するように働きかけるだろう。
 
 しかし、金儲け主義で無く、王道としての商売を手掛けるなら、人としての道を踏み外せない。法律で談合は禁止されている。価格を安くして生産も卸しもお客も三者がベストな線を探し出して大きな展開をさせるだろう。
 しかし、オレは高嶋科学の複合発酵技術を世に広げる事のみが人生の目的だからそれはやらない。

 先だってテレビだったろうか、うつ病の話しで、日本だけでも100万人を超えるという。うつ病の原因は強いストレスが長い間かかった時に発病し、脳の一部が萎縮して来ると言う。その原因は扁桃体(ヘントウタイ)にあると言う。
 アフリカのタンザニアに暮らす「ハッザ族」の人々は、今でもうつ病と無縁である。狩猟を生活の糧とし、獲物を必ず平等に分け合う暮らしでは悩みもストレスもなく、うつ病は発症しないそうである。
 興味深いのは欲をかくのも扁桃体は反応すると言う事だった。自分のものと他人のものとが不平等であれば、損をしても得をしても扁桃体は激しくはたらくが、平等(公平)であれば、扁桃体は反応しない。
 実に興味深い。オレも昔、欲をかいていた時は金は手に入っても、身体は具合悪く夜も良く眠れない日々が続いた。今やっと答えが出た扁桃体が激しく働いた為だ。
 
 うつ病がどうの扁桃体がどうの関係なく、金をいくら手にしても、ある日具合が悪くなり病院へ行ったら、貴方癌です・・と言われたら即地獄へつき落される!愚かな事である。
 
 皆が平和で幸せになる複合発酵を広げる事ほど価値ある仕事はない。
 オレは複合発酵あ・うんユニットを広げる事以外関心無い。
 共感 2014/03/17 
 人を救うなどと言うのはおこがましい。救うのは自分自身の気付きしかない。しかし、助言と言う助け舟はだせる。
 それには共感する事であり、相手と同じ苦しい悲しい気持ちになり、そこからギアチェンジしながら上へ引き揚げる事だと想う。
 共感するには同じ体験がなければ共感は出来ない。そして、体験と言う過去のものにするには、そこから学び自己のものとしたと言う事である。
 イエスキリストや釈迦は苦しみのどん底を体験したから人を救えるのである。

 高嶋科学を世に展開するのも同じ事で、一般人に共感し理解して誰にでも出来る複合発酵を提供する事である。実際手がければ興味が湧きあがり時間の経過とともに技術も上がる。技術が上がればさらに高度の複合発酵をものに出来る。

<オレは泥棒も人殺しの気持ちも理解出来る。多分過去世で体験しているのだろう。義賊ネズミ小僧次郎吉かニッコリ笑って人を切る大菩薩峠の眠り狂四郎だったのかも知れない。オレは危ない人物と想われそうだが、あうんユニットのアイデアを考えるには愛がなければ出て来ない。ある日オレは山に向かってバカヤローと声を張り上げたら愛している〜と木霊(こだま)が返って来た。怒り憎しみが極まれば愛になり、そんなオレを天は愛していると言っているような気がする。>
 聖職 2014/03/15
 高嶋科学展開のあ・うんの会の発会式に向けて、知人、縁ある人に声をかけている。その中に二人のお坊様がいる。当ホームページの雑感で、“その辺の坊主のお説教よりオレの雑感の方が余程為になる”と書いた事があるが例外もある。
 
 お誘いの電話で、・・・お仕事にさし障りなければご出席お願いします。・・・と言った後、なんか変だな?とオレのセンサーが反応した。
 そうだ、お坊様に仕事はヘンだ。突然待ったなしの仕事とは人の死によるお葬式だ。
 仕事はある一面家族を養うための金稼ぎだし、お葬式は心をこめて死者を弔う儀式であり、儀式のお葬式に金稼ぎの仕事はあるまい。そうだこれは“おつとめ”が正解だった。オレは反省したのであった。

  待てよ、オレは今養豚業を縮小し以前の三分の一程度に減らしている。今後は高嶋科学展開のあ・うんの会へ全力をそそぎ込もうとしている。オレの仕事はもしかして、おつとめと言っても良いのかも知れない。
 金儲けよりこの科学を世の中に広げて人類救済地球環境問題の解決を目指している。宗教の心を救うも含めた心身、地球環境人類の救済であるから、これは仕事を越えた聖の仕事つまり聖職そのものである。
  
  又お坊様もお金を目的に御葬式のおつとめをするわけではない。後からお布施という形でお金が入って来るのだろう。我々のあ・うんの会も天の仕事おつとめを果たせば当然お布施のようにお金が入って来る。博士も金を求めてはいけない後からついて来るものだと言われている。だから我々の仕事は聖職中の聖職なのである。

  この世の全ての仕事は聖職のレベルまで高めねばならない。政治も経済もあらゆる仕事が聖職となった時、真の世界平和が訪れるだろう。
 自殺 2014/03/14

 以下のメールが来た。
 友人が自殺をしました。
 彼女は20年来の友人で、以前の職場の同僚でした。
 数年間、没連絡状態でしたが、何故か昨年秋に突然やり取りが再開し、それ以降は毎日メール交換していました。
 バツイチで子供はおらず、母親は施設、父親と二人暮らしでした。
 仕事は、なかなか休みが取れないほど忙しく、私生活では昨年春から遠距離交際が始まった不倫の相手とうまくいかなくなってきていて、年老いた両親の事が一人っ子の彼女の肩に重くのし掛かり…と、今思い返しても、本当に八方塞がりでした。それで精神状態がかなり悪化し、毎日死にたいと繰り返すようになりました。
 生きること、生かされてることの大切さや有り難さを一生懸命伝えてきたつもりでしたが、結局、助ける事は出来ませんでした。あんなに、精一杯SOSを発していたのに…。
 もっと何かできた筈なのにと自分を責めました。 

 人はそれぞれ自分の人生は自分で決めているのであり、常に自分でベストを選択しているのである。他人からみて馬鹿な事をと・・極端に言えば泥棒をしようが人殺しをしようがベストなのである。
 その人がその状況まで追いつめられるのも、その人がその人の人生の中で日々の小さな問題の答えが今日につながっているのであり、もつれた糸のように解きほぐせなくなったのである。絶望の果てに自殺をしようともその過程での答えが必然の自殺というベストの答えにいきついてしまったのである。
 人の事はその人にまかせておきなさい。只、答えを求められたら貴方のベストなメッセージを伝えなさい。その先、その人がどのように答えを出そうがその人が決める事、責任はその人の自己責任である。
 
 相手を変えようと想えば自分が変わらなければ変えることは出来ない。その事の根底に上記のような考えが無ければ感情の渦に巻き込まれいっそう問題を複雑にして混乱するだろう。
 この考えを持つと言う事がすでに自分が大きく変わっていると言う事である。さすれば冷静に相手のもつれた糸を解きほぐしてあげる助言が出て来るだろう。
 そう出て来る・・出て来るのである。
 冷静に天に委ねていれば答えは向こうからやって来るのであり、日々の小さな問題の答えの気付きを起こすのである。
 さすれば齢を重ねるごとに楽になり幸せになり、良いも悪いも全て有り難いのである。

<日常生活の中に起きる小さな問題をおろそかにするでない。答えを出して実践するのである。さすればさらに答えが出て真実が見えて来る。日々の問題は貴方を幸せにするための天の計らいなのである>
 探究 2014/03/05
 探究、探求心とは あるものを得ようとしてさがし求める気持ち。 探究心とは探求し求める物事の意義・本質をさがして極めるのが探究だと想う。
 一番の探求は自分への探求だと想う。自分が全てであり、全ての問題解決は自分の中にあるからである。

 柳田さんの文章はすぐに解ると言われた。また文章に力があるとも言われた。多分、オレ!とデアル!が所彼処にでてくる文章だから・・・である。又デアルと書いてしまいそうデアル(^^)
 幼い時に人生の絶望を味わってしまった事が、今の私の全ての出発点となっているのだろう。それは生命の根幹に係る苦悩だった。それは釈尊の苦悩と同じものだった事は自分が一番良くわかる。
 本の借りものの知識や、人から押し付けられたもので無く自分で出した答えだから、揺らぎは無く確信に満ちた答えだから、もの言いがオレとデアルと言うような言い切る言い方になるのだろう。それは延いては力強い文章になってしまうのだと想う。

 人はそれぞれ何かの縁で、それぞれの生き方や仕事を選択しているのだろうが、私の場合は命がテーマの人生かも知れない。命がテーマだと学問はむしろ邪魔になるような気がする。確かに勉強もしなければ人の言う事はほとんど聞かない人生だった。むしろ喧嘩や争いが中心の人生だった。それは全てが欺瞞に満ちていたからかも知れない。
 本当の事、真実だけを探求していたから、人とぶつかり自分の矛盾に悩んだのかも知れない。そして何時しかその真実の探求はまっさらな心でセンサーを研ぎ澄ませていれば向こうから答えがやって来ることに気がついてその方向へ一歩づつ歩みを進めるようになったのである。
 
 と言うわけで、今の百姓はオレのベストの仕事なのである。その百姓のオレに高嶋科学を展開させることの使命を与えられたと想っている。
 只面白いのはオレは大局からものを見る。枝葉の事には囚われない。現実を直視して効果的手法をとる。それが誰でも出来る複合発酵あ・うんユニットなのである。
 先だっても博士に「私達にお任せ下さい結果をみてご判断下さい」・・と言ったのである。

 “バカ丸出しの自由自在心”はセンサーとしての基本的な心構えなのであり、そうすれば“キラリ光る真実”が天下ってくるのである。

<オレは高等尋常小学校でのテストの時シャーマンだった。鉛筆の倒れる方向で答えをだしたり、神様仏様どうか答えを教えて下さいナ!で答えを導きだしていた。多分この頃から信仰心が養われたに違いない。真実を見極めようとするオレがバカなら、貴方達は愚かである。バカは天国に近いが愚かは地獄の一里塚だ。>
<柳田大明神格言・愚かの壁を突き抜けたとき、抜けたような素晴らしいバカの世界が開けるんだ>
 発見!腹もみ健康法 2014/03/04
 生命は法則であり、法則の上に乗ればあらゆる問題は必ずや解決出来るものである。先に結論を言えば全ては腹にある。長年の病気により、あらゆる健康法を実践体験して来たが、将に病気治しはお腹の調整にあり、他の健康法のいの一番にやらなければならない事が判明した。

 お腹は物質の肉体と見えない心、双方を同時に癒す。(心も治すから癒すが正解である)
 お腹はエネルギーを生み出す常温核融合を起こす原子炉であり、命の源、それは真に法則に合致するのである。結論として心と体は車の両輪で双方に影響しあい、プラスの連鎖を生むのが将にお腹である。要はお腹調整が全ての第一歩なのである。
 
 法則は円であり丸である。人間は光から離れて闇の世界の直線的思考の呪縛により本来の心から離れてしまっている。波動の微妙な身体から波動の粗い肉体まで故に本来の微妙な光の身体を取り戻すには降りて来た道を今度は登って行くのである。その具体的方法が物質の肉体である腹を整えることをいの一番に始める事が重要なのである。
 
 腹が立つから頭に来る!腹が立たなければ頭に来ない。腹が出来ていれば腹が立たない。故に腹は感情想念を左右する。又病気とは気が病んで病気となる。腹を作れば心も身体も健全となる。ゆえに人格は腹にありなのである。 
 腹が出来ていれば、自ずと心は出来ていると言う事であり不動心はお腹から生まれるものなのである。故に腹が出来ていれば、いわゆる肉体の病気にかからないという事になる。
 
 此処までは何気なく使っている言葉の理屈から法則を探り出したのだが、これを百姓として常に命に係る立場より具体的に真理を追究してみた。
 命の源泉は腹にある。つまり我々動物は食べて生きている。お腹で食べ物をエネルギーに変えて、そのエネルギーが頭を働かすエネルギーになるのだろう。
 博士はお腹の中での腸内微生物の重要な働きを言う。腹は第二の心臓という、つまり心は腹にあるのである。 
 人間、命を生かしきるには健康である。心身の健康を考える時、宗教精神世界から身体の健康法まで手当たり次第にやって来たが“どうも違う順番があるのでは無いか”という想いが晴れない。 そこである時突然のヒラメキにお腹が全てに基本との結論に達した。健康はお腹を作る事に有りである。
 そこでお腹を作るのは食べ物だろうか白隠禅師の丹田呼吸か高嶋博士の宇宙エネルギーだろうか?座禅を組んだり各種、実践してみるがいま一である。そこで、はたと気がついた。母親のお腹の中で生かされていた時、呼吸もしていなければ食べ物も食べていない。始めは母親の呼吸脈動の刺激を受けていたのである。
 
 そこでお腹に力を加える事から始めてみると奇跡が起きた。背中の痒い所へ手が届いて今まで忘れていた感覚を呼び覚ます変化が起きた。
 そうだ人間の身体で自らの手で手技を行おうとする時、手が届くのはお腹であり又他の手の届かない所は肋骨で守られている。そこはやたら刺激を与えてはならないと言うふうに身体の構造が示している。
 いくら座禅瞑想してみても形ばかりで心を作るのは至難の業である。それならばお腹を作ることが最善の方法である事を悟った。オレのお腹は強力な腹圧を必要としていた。そこで“すりこぎ”や“こけしの頭の孫の手”を使うのも良い。 そして腹もみ健康法から入り次に高嶋博士のEMBC複合酵素、仕上げに白隠の丹田呼吸とつなげ車のギアチェンジのように三段階に切り替えるのである。其処に究極の食べ物あうんユニットによる自らの生命情報を持った野菜を加え医食同源の究極の健康法となるのである。

 <腹もみ健康法により健康回復し、エネルギーに満ちた身体を取り戻したからと言え、腹もみのその手をその下へ持っていくんじゃあない。“禁じられた遊び”に興じて無駄にエネルギーを消費させるで無い!>
 命を生かす 2014/02/22
 百姓仕事の一時の合間のお茶の時、お手伝いのオバチャン“柳田さんは美味しいものを先に食べるのね”と言った。その時反射的にそうだね、でも衣食住のうち衣と住は何でもいいが、食べるものは身体が要求する旨いものを食いたいね、と言っていた。
 (胃袋は生ごみを捨てるバケツでは無い!もったいないの考えははもっての外である。)正確には食べるものは身体に良いものを食べたいね、そして衣と住は今あるものを大事に大切に使いたいねと言いたいのである。
 答えは一本の筋が通っていると想っている。それは生きると言う事は自分の命を生かす事 この世で一番大切なものは自分の命であり、その命を生かすと言う事は他の全ての命ある者へ貢献奉仕する事である。その為には自分の命を大切にしなければ命の目的を果たす事は出来ない。これがオレの一貫した生き方であり信念でもある。
 衣服や住居の物質も命がある。またそれらは多くの人々の手により作られた・・いや創造されたものであり、決して粗末にしてはいけないと想っている。将に天から人間に与えられた創造力を発揮して作られたものである。だから衣服も家も大切に使えるだけ使い最後は雑巾や薪にしてエネルギーに昇華させて使い切る。それが命を生かすことである。愛とか感謝など言わずとも“命を生かす”という一言の中に全て含まれていると想うのである。
 大事な事は貴方はそれが解ったと言って具体的に何をしますか?その具体的な事が全てである。オレはそれが高嶋博士の生命科学、複合発酵だとこれ一つに絞り切っている。全ての生命が病んでいる今、これほど重要な科学技術は他に絶対無い。
 大事な事が自分が何をするかである。放射能汚染と言うと、ほとんど政治家有名人誰々に伝えると言う人ばっかりだった。自分が汗をかいて何かをしようと言う人の少ない事世の中の批判文句ばかり言っているのが実態である。
 又ものをどんどん買いこみ家の中をゴミ屋敷にして、テレビマスコミが片づけの名人だと片っ端からゴミ袋に押し込んで捨てて、さあ綺麗になりましたと悦にはいっている。ものを生かす知恵が無い愚かな片づけ名人である。全てのものは命があるんだゴミなどと言うものは一切無い。
 オレなんかお客様用複合発酵あ・うんユニットのトイレのドアに“貴女からの頂きもの一魂一滴たりとも無駄に致しません。有難うございます。”と感謝の言葉の額を、自然にさりげなく掛けてある。これこそ全てのものを生かしきるお手本だし究極の感謝と言えるだろう。
 ものを粗末にする世の中、実に美しく無い!

<ある人はあうんユニットのトイレに入り、目の前の感謝の文字を目にして、“柳田さんの心の深さに感動し、下半身の排泄に止まらず、目から鼻から感謝の涙に鼻水まで出してしまいました。”と言った人がいた。>
  2014/02/27
“酒は百薬の長か、さてまた気違い水か”
 オレはたばこをたしなまない。酒も付き合いに口を濡らす程度である。若いころは大人になったような気分で手を出して見たがどうも合わない。父親が大の酒好きたばこ好きで母親が苦労したせいもあるのかも知れない。
 飲食は日月神示にあるように人間進化に重要な意味がある。最近酒の弊害を目にする事があった。酒は心のうさを晴らすと言う一方、深酒は自分を誤魔化し内なる悪を正視せずカルマを助長させ人生を狂わせる。
 宗教では人は変わらず偽善者になるばかりだが、食べ物は人を確実に良くも悪くも変える。好むと好まざるとに係らず天変地異、人為的な戦争、悪政などにより世の中が混乱すれば当然食うに困る。さすれば食に困まり草食動物のように草木をそのまま食べる事になる。
 それは逆に人間を正気に戻す。故に自然はそのまま完ぺきに何が起きても全て進化の方向に人間を誘導する。
 
 同じ釜の飯を食うという格言があるが、あうんの会で皆で鍋を囲み食べて飲んで楽しく話をする時、同じ釜の飯を食う効果が起きる。共に食卓を囲むだけでなく、同じ美味しさの感動を共有し、それは波動の共鳴作用を促す。さらに発見した事は皆の唾がペッぺペッぺ飛び散り鍋の中に入り込み生命情報が鍋の中で手をつなぎあって発酵を促し遺伝子に影響与えているのを感じている。
 アナスタシアの真実、つまり裸の足で土を踏み舌下の種をその土地に撒き、芽が出て花が咲き実が成るときその実はその人の生命を癒す素晴らしい食べ物となると言う。アナスタシアの生命情報と言う深遠なる宇宙の真理と生命の真実を考えるとき、我々の鍋の果たす役割は大きい。
 一方酒は飲み方次第で薬にも毒にもなる。“酒は百薬の長か、さてまた気違い水か”所が所がだ!我々の中にその事を考えさせられる出来事が起きた。生命情報の鍋に酒が加わり何時しかその量は増える一方である。ある時の会合で、中でも愛深く心やさしく包容力のある好人物がが突然、“旨いものを食わせろ帰りにはお土産を持たせて帰せ”と言いだしたのである。深酒は人を狂わせ悪霊の餌食になる。
 
 これからはあうんの会では酒は禁じてオレの作った大自然水のみでやることに決めようか、さすれば各人の生命情報の鍋に大自然水の宇宙エナジーが加わり、宇宙の真理に目覚めた真の同志となり、地球人類救済の大威業を成し遂げるだろう。  
 育てる 2014/02/24
 博士は言う。人間は何を想い何をして何を残したかが大切だと。
 高嶋科学を展開する目的で、末広がりの八人で新たな会社を起こし動き出した。法的には「合同会社あ・うん」であり、看板は「複合発酵あ・うんの会」である。奇跡のリンゴの木村さんは“全ては天の采配”という。今後人材が入るなり外れるなりは“全て天の采配・御心のままに”である
 
 百姓は社長から小使いさんまで全てこなす。オレのように一人暮らしなら、なおさらのことである。このような暮らしを百年も続けていると全て見通し、始めにしておよその答えは解っている。しかし、現実問題として、人類救済科学展開への大きな目的達成には多くの人材を育てなければならない。日々の問題解決の知恵を引きだし気づきを起こさせながらお互い進化向上させると言うことであり、これを人間複合発酵と言って来た。

 以前、環境維新の会から地球バイオエナジー(梶jを展開している時、ある仲間の一人の若者が柳田さんは答えが解っているから話すとすぐにその答えを言う。つまり結論を先に言われるのが嫌だと言ったのである。自尊心を傷つけられたという事らしい。それから、その若者を目を掛けて育て最後に環境維新の会を託したが断って来た。落ち目の会は算盤勘定合わないと言う事だったのだろう。
 
 過去の体験は学びである。人材を育てる為には間違っている意見と解っていても、出来るだけその人自身の意見に沿ってやって頂く、さすればその結果が悪ければ間違いを悟るだろう。人を育てるとは忍耐であり、愛は忍耐なりは真実である。

 その様な事を言えば、お前は如何ほどのものかと想われるだろう。百年の人生体験は伊達じゃあ無い。例えば名刺を作ろうと言う事になって、案を出しあったが皆おとなしく常識の範囲の案しか出て来ない。オレはしびれを切らして言った。
 無から有を生むのが本当の知恵だ。常識の枠を外した超常識の名刺を作るんだ。金の無い会社だから名刺にも最大限の仕事をしてもらうんだ。名詞に複合発酵の素晴らしい科学を伝える表現をしてなおかつチラシ広告の役目を持たせ、見たら自ら設置するなり人に伝えるなりの行動に駆り立てるようなものにするんだと言ったのである。
 
 具体的には高嶋科学の象徴の富士山とあの白隠の強烈な達磨をロゴマークにして、オレの考えたあの素晴らしいスローガン“江戸の理想的循環型社会を現代に蘇らせ飛躍的に発展させるテクノロジー”という名文を入れるんだ。そして裏側も有効活用であうんユニットと家庭菜園の循環をイメージした漫画にするんだ。!その他アイデアはいくらでも出てきて尽きることは無い。

<仲間は皆高学歴でオレのみ高等尋常小学校卒だが、発想力が欠落している。育てると言う事は子供も大人も同じ手法をとる。失敗し恥をかき痛い想いをして初めて気づくのであろう、だから忍耐なのである。>
 平均の美の意味するところ 2014/02/20
 ある日のテレビで50人の女性の顔を合成すると美人顔になると言う。何度やっても同じ結果だと言う。興味深い事実がオレの頭から離れなかった。これは何を意味する事か?。
 当然その被験者は同じ顔立ちの人をピックアップする事ではない。偏らない事は当然である。例えば同じ学校の女生徒だったり、同じ会社の女性社員なのだろう。他の被験者のグループにしろ縁と言う名の自然の人間集合体を言うのだろう。 
 もっと解りやすい例を挙げれば、時間をさかのぼる縁を考える時、一族の女性を何代もさかのぼり合成すれば多分同じ結果を生むだろう。
 又もっと解りやすい対照的事実として、物凄い整った美人の女優の母親が物凄い崩れた顔立ちだったり、同じく物凄いとぼけた顔の芸人さんの母親が物凄い品のある顔立ちだったり、先日も物凄い美人のアナウンサーの母親がビックリするほど・・・・だったり、姉妹で両極端の例など皆知っているはずだ。
 又一人の人間の人生、生まれた時の赤ちゃん顔から齢8〜90歳の老人まで足して平均すれば一番エネルギーに満ちた20歳前後の顔になるのかも知れない。
 これは女に止まらず当然男にも当てはまることだろう。顔だけに止まらず、性格まで広げても同じ事かも知れない。
 
 縁は必然、其処に深い創造主の意図を見る。縁と言う見えない糸でつながれた人間どうしの悲喜交々の人生物語を考える時、時間と空間を越えて物語の原稿は用意されているのである。縁ある人との面白く感動的な物語を作るのが人生だ。
 個々の生命物語は個々の自由に任せられている。生命はエネルギーだ。エネルギーの大小はどこから来るのだろうか?多分勇気と行動による体験が自信となり自己限定の呪縛から自分を解き放つのだろう。
 光と影、善と悪、相対的にならなければ物語が始まらない。物語の中、喜び哀しみあらゆる体験を通して人生を味わい感動をするのだろう。そしてその暁には大調和の世界へ入るのだろう。つまり物語の終点は大調和という事に帰結するのではないだろうか。
  
 <この世に個性はあってもブスなどと言うものはない。個性を生かして面白い人生を創造するんだ。貴女の個性ならではの誰にも出来ない貴女だけの素晴らしい人生があるんだ。オレは自分の光と影を見つめてきた。人生何でもあり、喧嘩も仲良くも丁半ばくちの欲得の修羅場も味わった。光を装って偽善者になってはいけない。影を見つめて、その影をいっそう光を輝かす事に利用するのだ。そして誰より面白く感動的人生を創造するのだ。最後は大調和の光の世界が待っているのだから何も心配する事は無い。オレの人生これからが本番だ。>
 ハヒフヘホ 2014/02/18
 ハヒフヘホとはナンダロカ?人の笑いである。
 貴方は笑う時、どの音が出るだろうか?将に出るのである。貴女の無意識の内に出るこの音は貴方の内側を表す。ヒとヘは要注意、人格低劣と見て先ず間違い無い。
 
 ヒヒヒ・・・(@_@;)の笑いは悪い企みで人をおとしめる時に出る笑いである。へへへ・・・の笑いは人を見下した悪臭漂う腐敗想念から生まれる笑いである。
 ハフホのハはハハハ・・・明るい開放的な命の躍動から生まれ出る笑いである。フはフフフ・・・お腹の底から自然に湧きあがるユウモアにふれた時など楽しい想念から出る笑いである。又ホのホホホ・・・女つまり受身の想念から生まれた節度を保とうとする笑いであり、手で押さえふさぐ指の間から洩れでる笑いでもある。 
 いくら世の中に名前が通っていようと解ったような事を述べても、笑いはその人の人格を表す。何故その様な人が世の中に知られるかは、世の中の人間が損得で人を判断するのと内側を見抜く眼力が無いからである。要は算盤と肉の耳で聞き知識で答えを出すからである。
 だから笑いの音で判断するのが一番良い。それより自分の笑いに注意を向けて見ることである。。

 <オレは雑感を書きあげた後、思わずククク・・・と笑う事がタマニある。!カキクケコのクだがこれは猿か鶏の類に属するのかも知れない(^^)。人間は皆善悪混交の生き物である。笑いの音の比率で自分の今の現実を知る事も面白い。>
 経済効果 2013/02/17
 高嶋酒造の二午稲荷祭が大雪の翌々日に執り行われた。
 オレが声をかけて遠路参加する人達に対しても休むわけにはいかない。前日ファームから幹線道路まで二百メートルの雪かきをした。 オレの愛車軽トラックの通れる道幅の雪かきである。よる齢なみの身体には応える雪かき作業であるが“精神一到何事か成らざらん”の心意気であり、実際動いてしまう有り難いオレの五体である。
 駅までの七キロ文明の力、軽トラックの四駆の凄さとそれ以上に、凄い道具としてのスコップの力を思い知らされた。
 何故か出かける直前スコップがヒラメイタから荷台に何となく載せたのであるが、その道具としてのスコップの経済的効果は推定数百万いや一千万円の大台に乗せたのかも知れないのであった。
 
 その訳は、常に時間に余裕をみての行動で、一時間以上早く出立したが日光街道の杉並木の大木の影で凍りついた雪は路面をしっかりつかんで放さない。
 中ほどまで車を進めると、そこで出会ったのが物流の動けなくなった大型トラックだった。車のわだちからそれたトラックはアクセルを踏もうがバックに入れようが嘲笑うように空転する。両車線をみるみる車の数珠つなぎ状態で運ちゃんオタオタするばかりであった。。
 オレはピンチなると頭を空っぽにして其処から解決の方法を探し出す。すると何となく載せた荷台のスコップに気がついた。すぐに行動に移すのが百姓の良い所である。
 アンちゃんそれではだめだオレがこのスコップで氷をはがすから待っていろと言って、ものの10分もしないうちに駈動輪の前後1m氷を路面から剥がしたのである。そして、良いから動かしてみろと言いうと運ちゃん喜んでエンジンをかけた。すると実に簡単に元のわだちの所に収まったのである。
 オレは運ちゃんのお礼にも何事も無かったようにサラッと受け流し、軽トラックのエンジンをかけると同時に大型車の間をすり抜けた。
 昔懐かしいウエスタン映画のシェーンのように無私の愛をほどこし、そっと立ち去ったのだった。そのとき何となく口笛を吹いていたのが“遥かなる山の呼び声”あのシェーンのバックミュージックだったのである。
 馬が軽トラックで馬の横腹にくくり付けたのがライフル銃ならぬスコップだったのである。オレはヒーローになりきっていたのであった。
 
 そうだ、現実に立ち返った時、数字が頭をよぎる。数百台を超す物流の大型トラックの停滞は日本国家の財布に直結する。オレの行動の経済効果は数千万円の損失を助けたのかも知れない。
 アート 2013/02/14
 文章はアートだ。フィクションでもなければノンフィクションでもない。楽しく感動させ心を突き動かし人を幸せにするメッセージ性あることが大切だ。
 それにはどのような立ち位置に身を置くか基本的スタンスである。それがオレの場合は“バカ丸出しの自由自在心とキラリ光る真実”なのである。
  
 アートは感覚に直接訴える。文章もアートで良い。長い長編小説よりどうともとれる短歌より、日記調のオレの雑感ぐらいが丁度良い。
 日々起きることは必然の事であり、天の導きの因果応報のメッセージだから深い。内容がイイカゲンのようでいて良い加減なのである。
 雑感の中の登場人物はオレとの因縁を通して愚かなお手本になる。今までオレに私の事を材料にした雑感を消して下さいと言って来たケツの穴の小さな人がいたが消した事はほとんどない。ある時は消したように見せかけて忘れた頃そっと復活させて来た。
 貴方の愚かさがそのまま教科書となって多くの人の救いになる。だから、苦言を呈する貴方は反面教師の天の選んだ幸運な人である。
 りこうも愚かさも具体的でなければ人の心に届かない。それをアートまで高めればもっと効果的だ。

 <オレはその辺にあるものは皆取り込み融合させる。この雑感を書きながら、今日は幾日かなとお寺から毎年配られるカレンダーにふと目をやると“人は法を求めるに止まって、法に生きることを忘れている”とある。上っ面の知識のみで実践が伴わないと言う事でもあるが、それより先ずは既成概念をぶち壊し立ち位置を変えるとキラリ光る真実が向こうから飛び込んで来るのである。それが何時しか自分を変え人生を変えることになる。百姓は御寺の坊主より人を救えるノダ!>
 火の清め水の清め 2013/02/07
 病で苦しむ人が増える一方である。健康法も次元を越えた角度から解説してみると・・・火の清め水の清めと言う宗教上の教えがあるが、清めをパソコンで検索すると「清めとは清浄にすること。罪やけがれをはらいきよめること。 掃除。 きれいにすること。不浄のものをとり片付けた者。」とある。

 <話は急に変わるがパソコンとは便利なものだ。石の上にも三年と言われるが雑感を書き始めて早7年、このものぐさなオレが気が付いたら作家先生になっていた。調べないと書けない所も検索してコピーして貼り付けすれば貴方もたちまち作家先生になれる。>

 昔浪越徳次郎という指圧の先生が押せば命の泉湧くワッハッハーと言うコマーシャルを良く見た。 又昔ベストセラー になった元祖スピリチュアル&大御所ハリウッド女優の シャー リー・ マクレーンの著書『アウト・オン・ア・リム』で超リラックス状態から身体から魂が抜け出た話があった。又身体のどこかに針を打つと幽体離脱を起こすとか今は記憶に定かでない。
 人間の身体は宇宙船の比で無く何処彼処に壺というスイッチがあり其処を押して刺激を与えると超不思議な事が起き、今日のあらゆる病気が治る可能性を秘めている。 
 やはり人間は神の創造物だと感じるのである。 そのスイッチの機能はさて置いて、生命の本質は光でエネルギーで神そのものということから考えてこの物質界の原罪という汚れを拭い去り一切の苦悩無き生命の本源に立ち返るには清めと言う事になる。 
 それは大きく考えると火の清め水の清めという事になる。この地球という惑星も火山の噴火、台風による水害も将に天の法による地の清めである。
 百姓のオレの良い所は具体的である事に尽きる。簡単に言えば人間の病気治しも清めによる究極の治療法である。 それは毎日大量の水を飲み、身体の何処彼処にお灸をすえるのである。だから、オレの身体はお灸の後だらけである。
 ある時フト気づいたら、お腹のお灸の痕が観音様の姿に見えて思わず合掌してしまったものである。 灸の起源は約三千年前の古代中国の北方地方において発明されたとある。いわゆるもぐさをマッチ棒の先のように丸めてエベレストのような先高の山にしてお線香で火を点けるのであるが、オレはその時仏前にお線香を焚く心で点火する。その時チクリ!ビビビビ神経が反応して経絡というエネルギーの道が開け障害物を排除し情報の伝達が行きわたるのである。 
 大事な事はそのツボを探り出す直感である。その辺の治療師に頼っていたのでは真のツボは見つからない。 
 一方水の清めは大自然水及び桃源水である。全ての毒を洗い流す。今回天下泰平さんに高嶋科学の水の計り知れない力の一端を証明する実験をして頂いた。錆ない水その抗酸化力は将に人類救済、富士の御神水である。
 火の清め水の清めで真の健康を取り戻そう。

 <皆さんは水の力を知らなすぎる。モルトだけ飲んでいれば良いと勘違いしている方が多いのだが、水は情報を伝達する媒体としてこの上ない重要な働きをする。1+1が3にも4にもなるのである。大自然水の力か?オレの身体のお灸の後は時間と共に消えてゆく百歳を越えた肌は雪の白さだ。今からでもお嫁に行けるかも知れない。>
  忙中 閑有り 2014/02/06
 忙中 閑有り。ということわざがあるが、その意味は忙しい時でも,わずかな暇はあるものだとある。
 それを深く解説したものに、ただの閑は退屈でしかない。真の閑は忙中である。ただの忙は価値がない。文字通り心を亡うばかりである。忙中閑あって始めて生きる。
 
 オレは一人暮らしの百姓だから現実的実践からこの意味を考え生命としてのあり方を重ね合わせた。
 人間は欲がある。あれもこれも同時に早く片づけたいとあの仕事この仕事同時進行でいくつもの仕事を同時に手掛けてしまう。すると当然夕暮れて仕事を終う時、雑然とした途中経過の仕事が残る。それは心に重くのしかかり夜の安らぎの睡眠を妨げることに気づいた。
 人間は自然の一部、一日の内に生まれて死ぬ一サイクルに全てがある。整理整頓何処で終わっても後に禍根は残さないようにしなければいけないことに気づいた。
 生命は常に楽しく生き生きしている事が本質である。心に重いものが少しでもあればそれは楽しく無い。物質の世界で形作る仕事より、その事に寄る心の重荷や曇りが問題で、それでは本末転倒である。
 心も晴れ晴れ仕事も一つ仕上げて喜び二つ仕上げて幸せ三つ仕上げて達成感に浸る。それが真のあり方だと想う。
 農民画家ミレーの代表作『晩鐘』は夕暮れの畑に鐘が鳴り響く音に帽子を脱ぎ祈りをしている姿である。今日一日無事に生きて生かして頂いた事への内から湧きあがる感謝の想いが自然に出て祈りの姿になっているのである。この絵を見て感動しない人がいるだろうか人間の生業で最も美しい姿である。此処に美しくも生命としての日々完結の姿を見る。 

 <現代人は精神分裂で部屋の片づけの出来ない人が増えているそうである。ゴミに埋もれて何時しか自分自身が最悪のゴミとなりかねない。当然心はちりぢり今の生活スタイルを一度ぶち壊して新たな創造をし直す事が重要だが、それはもっと難しい。小さな事を一つ一つ積み上げていく事だがそれは何時しか大きな変化をもたらすのである。ただ、それらの順番で何を優先するかが大切であり、その作業工程を何度も何度も心に描いて焼き付けるのである。さすれば作業はスムースに楽しく気が付いたら終わっているのである。>
 ストリップ 2013/02/05
 昔は一杯飲むと好き者のオヤジがいて、ストリップ劇場へ連れていかれたものだが、今もその延長線上にある。それは女の裸よりもっと興味深いのは自分を裸にして、人の心を裸にすることである。
 “自分を知り相手を知れば百戦危うからず”この世は戦いの連続である。愛とか感謝とかは宗教界が仕掛けたマインドコントロールにはまった大衆の偽善の言葉である。
 ビジネスは将に知恵の戦いであり人の心を読まなければ勝てるわけがない。相手を読み相手に沿った対応が不可欠である・・・と言うのが一般の商売の考え方であるが、我々の高嶋科学展開の複合発酵あ・うん展開のビジネスはそのレベルではうまくいかない。
 
 自分を高め深めて天のエネルギーを取り込む結晶の心(心的結晶)を身に修めることである。それは“小聖は山で悟り、大聖は 街で悟る”と言うが山にこもっても水に打たれても寒く冷たいだけで悟りとは程遠いだけである。我々は大聖への道を行かねばならない。日々の生業の中に気づきから小さな悟りが生まれ、即それを生かし実践し形作るのである。その積み重ねが世の中を良くして、生命としての進化つまり、大きな悟りへとつながるのである。
 人間はあらゆる事に囚われ執着しているから、人から言われても自己保存本能にゆらいする感情が生まれ対立を生む。ゆえに自ら気づきを起こさなければ進化する事は出来ない。だから言いすぎても言わなすぎもいけない将にあ・うんの呼吸である。
 しかし、最近言いすぎでも無く、言わなすぎでも無い“無言の祈り”の力に目覚めつつある。 
 話し合い(波動調性) 2014/01/17
 “魂拍この世に止まりて怨み晴らさずおくものか”平将門の怨霊その他、祟り(たたり)である。
 人間とは何だろうか人間は大きく分けて霊魂拍に別れると言う。肉体は物質要素で出来ていて、その次が拍要素なのだろう。聖書でアダムは塵で作ったというつまり大地の元素から出来たと言うわけである。
 科学的に言えば波動の荒い肉体から微妙な身体に順次さかのぼり究極は神の光明波動になるのだろう。波動の荒いこの世界は偽りと真実の交錯した世界にたいして神の世界は真実そのもの完ぺきな世界なのだろう
 
 神の世界は波動が微妙と言う事は直ぐに伝わると言う事であり、我々のこの世の波動の荒い世界は全てに時間がかかる事を意味する。具体的に言えば、神の世界は肉体の無い光の波動だから嘘や偽りはすぐに相手に解ってしまう。それに対してこの世は波動が荒いから悪く想っても相手には伝わらない解らないのである。
 もしもこの世で相手の心が見えてしまったら、喧嘩争いが絶えなく収拾がつかなくなるだろう。だから解らなくて良いのである。
 神の世界の住人は自他一体な完璧な世界だから相手の事を心から想いやる。全て明らかにしても問題無く、つまり真実の世界となる訳である。別な言い方をすれば神の世界に行くには汚れた波動では波長が合わないからいけない事を意味する。
 
 この世も神の世も波動だから、時間の問題でその波動に合った創造をする。この世で何かを創造しようとする時、嘘や偽りがあれば嘘や偽りの創造をするし、何れ時間の問題で破綻するわけである。
 我々が今、会社を起こす上で最も大事な事は一にも二にも波動調整の話し合いなのである。他の利益を追求するだけの会社ならいざ知らず、世の中を良くしよう天の理想を地に下ろそうという高嶋科学には此処を徹底しなければ旨くいくはずがない。
 今まで多くの試みをして来たが、旨くいかなかったのは此処が欠けていたのに尽きる。別な言い方をすれば始めから壊れる波動の持ち主達だったのかも知れない。今新会社に参加した人達はこの世を良くしようの人達であり、それと具体的行動で示してきた人達である。皆柳田ファームのエネルギーに魅かれ楽しい仲間という集まりであり内心金目的の人達ではない。
 
 話し合いとは金儲けや勿論悪だくみの話し合いでない。波動調整も仲間内の妥協点を探りだすのではなく、天の光明波動へ同調させる話合いである。

 <オレはこのような偉そうな事を言っているから人間が出来ているかと言えばこの歳(101歳)になっても未熟者である。ただ取り柄は“バカ丸出しの自由自在心”になれることである。そして前へ進もうとする強い意志力である。以前に能力のある男がいた。オレは目にかけて大事にして来たが他の所はもっと良いと離れて行ったが結局は其処にも止まれなかった。他から聞いた話だが・・・・オレは彼によく畑の野菜をあげたが柳田の野菜は水っぽい野菜と言い評価してもらえなかった・・・そうだ。つまりオレの複合発酵での野菜栽培の腕はその程度だと言う意味である。ところが彼が○○農学校で複合発酵で畑をやったが想うような結果が出ずに撤退してしまった。彼の技術か想念がその様な結果を生んだのだろうか?オレが人間複合発酵で愛をもって説いて来たが因果応報と言うか何れ答えは出るものである。柳田ファームの野菜は水ポイ野菜で無く瑞々しい野菜だろうが!言葉の使い方から教えなければならなかった。>
 組織 2014/01/15
 組織を機能させるには、ビジネスとしての結果を求める前に、人間としての成長を個々が求める精神が無ければ旨くいかないだろう。
 江戸時代は素晴らしい文化を生んだのは、人間が本来のあるべき姿に近かったから文化の華が咲いたのだと想う。本来の姿とは人間尊重、個人の成長を金や物に優先させたからだと想う。話し合いの打ち切りの多数決などの手法を取らず、一人の意見の違いも、その人が理解し皆と同じ考えになるまで何度でも話し合いの場を持ったと言う。それは愛は忍耐なりの修行そのものだったのではないかと想う。金や物、つまり肉体より精神が生命の本体なら当然の手法だと想う。
 今まで人間複合発酵でやって来たが今度はそれにあ・うんの呼吸を取り入れてみよう。あ・うんは自分も相手も想念の波は刻一刻と変化して行く、前もって考えて出した結論は、その時々の話し合いや瞬間には不適当になる場合が多々ある。相手との将にあ・うんの呼吸でその時閃きの言葉を言うのである。これは真我一体相手の心にピタリ合ったメッセージとなるのである。
 次に自分の心に常に言い聞かせている“行雲流水”“仲良き事は美しきかな”この二つは普遍的であり又現実的である。この二つを新会社の社是社訓にしたらこれ以上のものは無いだろう。これを自然に採用する事になるだろう。
 人間は皆半端人間である。その半端同志が一つの目的に向かう時、当然困難な問題にぶつかる。その時、“仲良き事は美しきかな”と言っても偽りの仲良しは時間の問題で破綻するのは明らかである。そこで“行雲流水”去る人追わず来る人拒まずとなるのである。その事を魂の次元で実践する人に悔んだり後悔する事は無い。むしろさばさばである。だから去って行く人を止めることは無い。
 
 次にビジネスは金がついて回る。先人の教えに「金は後からついて来る。先に金を追う者は必ず失敗する」と言う。何事も無から有を生む精神で始めは小さな一歩からである。
 知恵を使えば良い方法がいくらでもあり、無から有を生ませる事が人間の人間たる所以である。  日本人は良い恰好をしながら心の中で一番金を考えているのにその事はおくびにも出そうとしない。そこで先ずは金の事はいの一番に言わなければならない。
 
 大いなる仕事をやろとする人は欲をはり、自己主張したり、下座につく精神が無ければ共にやる事は出来ないだろう。
 我々の組織はその精神で始め、全て掘り下げて明快にして行く今回の組織はその精神で遂行しようと想う。

<此処までの考えはそれなりに理解出来るだろう。しかし大切なのは問題が起きた時の解決の為の具体的知恵である。それは高い所から降りてくる知恵でありユウモアに場を和ましながら後にわだかまりの残らない解決方法なのである。>
 会長 2014/01/13
 柳田さんどうして複合発酵あ・うんの会の会長にならないのですか?と言われた。オレは会長の器で無い。会長でも色々な会長があり、高嶋科学展開の会長は品格を備え三拍子そろっていなければならない。 
 オレは今まで多くの人間複合発酵を手掛けてきたが、多くの学びを通して合成融合の精神を自分のものとすることが出来るようになった。
 そして何故かシングルマザーの人達が来るようになり皆一様に晴れやかで明るく前向きである。その事への考察から今後不調和な家庭があれば分解を促して離婚へと誘導したいと考えている。
 そして、それらの人達を集めて、シングルマザーの会を作り其処の会長におさまる。人間複合発酵で培ったノウハウを充分に生かし立派に職責を果たせるだろう将に適任だと考えている。
 先ず具体的に柳田ファームへ集まってくるシングルマザーに趣旨を理解してもらい、お仲間に発信して頂き月に一度ぐらいセミナーを開こう。そうだ。そして離婚への勧めという本を出版しよう。
 社会の最小単位、家庭の在り方の革新革命を起こし、今の結婚制度を廃止して、一夫多妻でも無く一婦多夫を融合した真に自由な男女のあり方を構築したいと考えるのである。
 
 これからの新たな自由で調和した時代は食べ物エネルギーも無料となる。さすれば忍耐と苦脳の結婚制度は最早必要無い。野に咲く花はそれぞれ美しい一つの花だけ見ていなさいは大きな矛盾である。女性も魅力ある男性を見たら自由に恋をすれば良い。
 
 先ずは実験でオレのファームの豚達は自由恋愛でオスもメスも相手を自由に選ばせているのであり、皆仲良く明るい理想郷である。

<これからの社会は一にも二にも循環型だ男女の性も循環させなければならない。結婚も滞ると腐敗してお互傷付けあい心がすさんで他人に対しても身勝手な欲深になる。離婚し自由になる事により、合成融合になり多くの人との自由な交わりにより真の救いを体得できる。>
 新会社設立 2014/01/12
 昨日1月11日がオレにとっての元旦だった。この歳になると一日一日が勝負である。天国行きの切符を手にする為の貴重な時間であり、元旦から七草も遊んでいられない。
 日常と違い御客さんが来ない分、仕事がはかどる。しかし今日は家庭からの複合発酵、新会社立ちあげ最初の会合だったので今日は実質一石二鳥だった。
 つまり、くつろいで遊びながら大事な行事を済ませているから一石二鳥なのである。別な言い方をすれば貧乏性とも言えなくもない。
 オレは言った貴方達は何と運の良い人達だ。柳田ファームへ遊びに来てて、今回の新会社に参加出来てこれほど幸せな事は無い。皆さんは天の仕事を遂行する栄誉を与えられたのだと・・・
 そして新たな集会場の正面に掲げた二幅の書“行雲流水”“仲良き事は美しきかな”これは私の心そのものですナンチャッテ挨拶したのである。この齢(101歳)になると恥ずかしさも照れくささも無くなり正直になるものである。
 
 新会社の適材適所の配置で先ずトップの会長にお願いした平成の坂本竜馬(オレの贈った愛称)、彼は日本を良くするには政治からだと、多くの国政の政治家に係って来て人脈は抜群である。
 彼が言うには60歳を過ぎてから何か人生が無性に寂しくてしょうが無いと言ったのに対して、そうですか私は若い時は悩み孤独感にさいなまれ絶望の淵をさまよっていたが齢を重ねるごとにどんどん楽しさが増してきて今が一番幸せですと言わせてもらった。
 そして貴方は若い時から順風満帆で幸せすぎたのだと想う、だから今老いる事の不安が首をもたげて来たのだと・・・
 
 オレは此処に集まった9人の中で一番の年長者だが彼らを見ているとオレが一番若く感じている。皆、若年寄りに見えてしょうがない。多分オレのキャッチフレーズ“バカ丸出しの自由自在心”がそう想わせるのだろう。
 そして想った彼らがこの仕事の天命を果たそうと日々精進して、オレの“バカ丸出しの自由自在心”に触れる事により何時しか孤独感から解放されていき、そして人類救済科学の具体的成果を上げていく中で、真の喜び幸せを体験するだろう。

<オレは“七転び八起きだ”樺n球バイオエナジーから環境維新の会そしてバイオエナジー水の会と次に昨年秋にペテン師ブローカーと縁を切り年明けて新たな複合発酵あ・うん展開への新会社設立だ。これは将に達磨の精神をそのまま地で行っていると言えるであろう。>
 利他の矛盾 2014/01/11
 これからの時代は利他の心が大切と言う。本当に自分より他を大事に出来るだろうか、利他の行為をするには自分を無くし、無私の心をもたなければならない。出来ると言えば嘘であり偽善者と言わざるを得ない。
 無私とは自分を無くすことである。それは最早聖人である。
 今まで利他と口にする人を見て来たが強烈に自分を持っている。自分とは文字の意味どうり他から別れたおのれというわけである。無私になった人は最早自分の言う言葉は無くなるはずだ。私の辞書に自分と言う文字はないということになる。
 自他一体自分の命を他の命が一つのものとの深い悟りに達すれば自分と他人の境界が無くなり自然と自分を大切に家族を大切に他の全ての命を愛おしく想う様になるだろう。
 凡人が利他と自分と他人を別けること自体矛盾であり何も解っていない証拠である。出来もしない事を口にするより、良い事を十に一つでも行動に現した方が何歩も良い。
 
 昔、自然農法の福岡正信先生の“無の哲学”という本を読んだ時、自分を全体から別けた時からあらゆる矛盾が始まった事を知った。
 進化した宇宙人から見たら地球人は馬鹿でアホーで笑っちゃう馬鹿に付ける薬は無いと言う事だろう。
 昨日の話しだが、ある事業に成功して日本での市場シェアを何十パーセント占めいわゆるビジネスでの天下取りに成功した話だが、その過程で同業者がつぶれてふるいにかけられたそうだ。そして今は莫大な金を持てあまし、今度は社会福祉にその金を使おうと思っているという話だった。
 オレはその話を聞いて思わず笑ってしまったのである。多くの人から仕事を奪い蹴落し、そして困った人を助ける福祉をするというのである。だったらそんな勝ち負けの大きなビジネスなんぞ始めからしなければ良いものを。
 人間は時間の問題で全体に吸収されて法則の元に返るのである。つまり、すぐに死ぬのである。
 
 苦痛と食 2014/01/10
 苦痛死ぬ時の悶絶する苦しみ!苦しみは誰も避けたいものである。しかし釈尊は因縁因果の法則と言い。昨近のスピリチュアルでも全ては必然と言う。
 苦痛はどんな意味があるのだろうか、もしかして、人生における汚れを清め浄化する働きがあるのかも知れない。汚れたままで死ぬと魂の汚れがその人の波動となり、その波動に同調した汚れた世界へ転生するのかも知れない。だとすれば苦しむだけ苦しんで浄化して死んだ方が良い。
 キリスト教でいう洗礼とは ・・・キリスト教徒となるために教会が執行する儀式で全身を水にひたすか、または頭部に水を注ぐことによって罪を洗い清め、神の子として新しい生命を与えられるあかしとする・・・とあるが洗礼よりも、生きているうちに気づきをおこし生命としての本来の姿に立ち返ることである。
 気づきを起こすには日常に生活の中、仕事での人間関係の中での問題解決こそ気づきのチャンスである。ゆえに人間複合発酵で想念の発酵を起こし分解合成融合にもってゆく努力が魂の進化を促すのである。
 故にオレは真正面から取り組む事を宗としている。だからオレの所へ来る人は幸いなり天国への階段へ一歩上がる事になるからである。(^^) 
 社会の一番小さな単位の家庭での夫婦の不調和状態も離婚も同じ事なのだと思う。若い夫婦の不調和からシングルマザーが増加の一途をたどっている。これこそ人間複合発酵のチャンスである。
 生命は永遠である事を考えると過去世で多くのカルマを積んで来てこの世で一気に解決しようとしても其処は無理がある。  この世でなんぼでも良いから汚れを落しわずかの進化 でも良いのだと想う。進化のスピードは進むほど回転が速くなる。先ずは負の回転から正の回転への切り替えである。
 ファームへ訪れるシングルマザーは将に負から正への切り替えに成功した魂であり明るくて前向きである。それは長年の忍耐苦悩のなか浄化されたのだと想う。苦痛苦悩は魂を進化させると言う証明でもある。
 一方夫婦不仲の忍耐をしながらストレスが高じて、多食い、それによる大いびき状態を訴える人もいた。この場合は魂の浄化で無く食欲という欲への転化であり、何の解決にもならず問題の先送りであるむしろ汚れの上積みだと想う。それは本人は解らないだろうが他人から見えるものである。
 生命として楽しくなく苦脳は本来の姿でないが苦痛を浄化に変えている人は食欲も自然に無くなり顔も行者が修行をしているような厳しい顔になるものである。
 断食不食は直接的魂の浄化をする。日月神示でも半肉半霊 ( はんにくはんれい ) の神人が日本民族の夜明けと共に現れると言う。
 昔から宗教の世界で食を制する事が魂の浄化に直結すると教えているが本当のことである。故に如何に忍耐苦痛の人生でも多食いに逃げては解決にならず救いは遠のくばかりである。人間の原罪は他の命を犯し食べることであり、必要悪であるが其処へ逃げては救いは無いのである。
 食べることに罪の意識を感じれば自ずと感謝して小食となるのである。  
 黒の美しさ 2014/01/09
 この世で最も美しい色、それは黒だろう。
 オレには二つの黒の思い出がある。それは今も大事な宝であり、どんな金銀宝石よりも輝き、深山幽谷に咲く清らかな花より美しい。今も心の奥で輝き咲きつづけ消え去る事は無い。
 あれは何時の事だったろうか、そうだ中学三年生の時、広い校庭で何故か一人サッカーボールを青空高く消えていけとばかり蹴り上げて一人無心に自分の世界に入り込んでいた。秋も深まり想い出の校庭との別れが其処まで迫った卒業まじかの頃だった。
 その時何か視線を感じてふと見上げると校舎の三階の窓から一つ下の女子生徒がじっとこちらを見ていた。
 その子はオレが秘かにあこがれていた可愛い子だと解るのに時間はかからなかった。その瞬間から無心から有心そのものになり、心はときめき熱き血はたぎりボールは飛んでも無い方向へ飛んでいくようになりコントロールが利かなくなってしまった。
 それでも彼女は其処にたたづみ続け、オレの蹴るボールを目で追っていた。そして尚いっそう言葉を越えた言葉で想いを送って来る。
 オレはそれに想念で答えていた。それは好きとかどうとかその様なものを超越した命と命がうちあけあい確認しあうものだった。
 そして神に祈った・・・神さま叶う事ならどうかこの時間を止めて下さいますように・・・
 “彼女の黒い瞳は遠く輝く星のような想い出”だった。 

 あれは何時の事だったろうか、そうだ高校二年生の春だった。広い体育館でフォークダンスをしなければならない事になり、男女交互に大きな輪を作り踊っていた。全校生対象なので上級生の女性との組み合わせもあり、ある意味不思議な空間だった。
 その時、一年先輩の長い黒髪と白い整った顔立ちの美しい女生徒との組み合わせが回って来た。彼女と手をつないだ瞬間にその細い白いしなやかな指先から、逆に大きな温かいやさしいエネルギーのようなものが伝わり途端に彼女一人にオレの意識は集中した。
 それが伝わったのか彼女も言葉をかけてくれて、やさしくステップを教えてくれた。その声は心地よく天使の声かと想われる程だった。
 濃紺の制服の長いスカートと黒い白紐の運動靴を履き白いストッキング、上品な足元が美しく、紺と白の変化が万華鏡のようにだった。オレはとても彼女の顔など見られない只彼女の足元の万華鏡の美しい変化に見入っていた。
 オレの意識が彼女に魅せられて時間と共に少し慣れて来たのか、おそるおそる上半身に移っていった。
 すると、足元以上に長い黒髪の美しさに気がついた。それは何とも言えない香りを放っていた。一体なんだろう・・・そうだオレが幼子の時の懐かしい母の香りを想いださせてくれた。あの黒髪は確かに母の香りを放っていた。
 彼女の動きと共に揺れる長い黒髪、体育館の窓が開放され春の桜色の風が彼女のしなやかな髪を舞い上げ白い顔を撫であげていく。すると、さらに清らかな花のような香りも加わってきた。
 “彼女の髪の黒の美しさは全てを育み育てるやさしい大地の母のエネルギーに満ちみちた美しい黒色だった。”
 そして曲が終わると、オレの目線は彼女を探していた。すると何か目線を感じて其処へ目をやるとクラスメートと離れた体育館の片隅で何とオレをやさしく見ていた。
 オレは偶然だと想い友達の話の輪に入ったが彼女の事が気になり又そっと彼女を見るとその目線は確かにオレに注ぎ続けていた。それは何か哀しそうな目のようでもあった。
 それがオレの限界だった。とても彼女に話しかける勇気はなかった。
  
 この世で黒の美しさに勝る色は無い。これ以上美しいものが他にあるだろうか。神は陰陽引き合うものの交流の中に美の極致を備わされたのである。

<精神は天のもの肉体は地のもの、男女の心の交流は肉体の交わりより何千何万倍美しい。>
 自分への探求 2014/01/06
 ある体験記が送られてきた。
 その内容が以下である。 

 今から5年前、私は食料自給率アップに少しでも貢献したいと思い、無農薬農場を作るべく,南は沖縄から北は北海道まで全国を走り回っていた。
 その時に、九州の先輩から「埼玉の柳田ファームに行くといい。ここの技術は凄いらしい。きっと役に立つだろう。ただし、農場長は少々偏屈らしいので注意せよ」と言われた。 

 オレは人間探求特に自分への探求が人生の目的の一つでもある。よって上記のような指摘は大歓迎である。
 先ずは辞書で調べると【偏窟】とは、素直でないこと。ひねくれていること。執拗に嫌がることからの強情っぱり ・ 意地っぱり ・ 意地張り ・ 情っ張り ・ 情張 ・ 意固地 ・ 強情張り ・ 頑な ・ 頑...とある。 
 
 そうだろうか?オレほど柔らかく自由で正直な自然体の男はいないと思っている。又「注意せよ」とは番犬か危害を加える生き物だと言うのだろうか?オレは今まで訪ねて来る人に吠えたり噛みついたりションベンをひっかけたりした事は無い。むしろ大歓迎で必ずお茶お菓子をだして、どんなに仕事が忙しくても仕事を中断して相手をして来た。農場長と言われても小さな畑を一人で耕し又豚も小さな手作り豚舎で、つつましい一人暮しの百姓である、
 
 昔ある尊敬する宗教者が、相手を嫌だなと・・相手の嫌な所を見つけて嫌う人は、その嫌う人と同じものをもっていると言われたことがある。
 
 オレは嫌うと言うより、間違ったと言うか清浄で無い行為に対して、ああ気の毒に、この人は今この境涯(この世に生きていく上でおかれている立場)にいるんだ。これでは今後多くの困難に出あうだろうに早く気がついてくれれば良いがと思いながら、遠回りにメッセージを送り、心の中でこの人の天命が果たされる事をそっと祈っているのである。 
 多分、この人は偏屈で言葉の使い方も知らない又物事を表面的にしか見ることが出来ないのだろう。又はオレに直接会った事が無くて、柳田ファームホームページの内容を見て、理屈ぽく難しそうで恐そうな人だ!が、第三者に話す時は上からの目線で、偏屈だ注意しろ!の言葉に置き換えられたのだろう。
 
 実際のオレはそよ風が吹くと飛ばされそうな頼りない男で、昔、お袋が、お前はやさしくて気が良いから人から馬鹿にされると良く言われたものだが、それも、今は深い意味があり、先ずは相手を油断させ相手のカルマを引き出して其処から人間複合発酵へ持ってゆき、分解合成融合へと調和へもって行く天の采配なのである。

 <この体験記での偏屈うんぬんは冒頭に触れただけで、見学後、実際柳田ファームの農場長はどうだったか?は触れていない。文章として中途半端になって締りが無い。実際遭ってみたら指摘以上に偏屈だったとか、又は逢って見たら全然反対のとても良い人だったかの締めがが欠落している。何時も飲み会が終るとき一本締めやろうという貴殿が締め忘れと言われてもしょうがないではナイカイ!追伸・“遭うと逢うの使い分け”(逢う=好ましい人に巡り合う)(遭う=嫌な人に出会ってしまった)>  
 リェクレーション 2014/01/04
 オレは正月も平日も無い。元旦から豚の世話をして高嶋科学の発信基地としての農場作りに精を出している。
 雑木林の中のせせらぎ小川が水漏れがするので、防水シートを張りながら、ふっと ラジオでもかけて見ようかと思い、どこかに仕舞ってあったラジオを探し出しスイッチを入れた。するととても具合が良い。仕事が無意識のうちにはかどり、しかも、そのラジオ番組の内容が過去の文豪たちの人柄を語っているのが興味深く心に響いてくる。テレビの馬鹿番組よりラジオの方がなんぼも良い。
 そうだ、普段はテレビでいやおうなく、映像も音もそのまま押しつけられて無防備に受け入れているが実に危険な事であり、自分のイマジネーション想像力の芽を摘まれている事に気がつかねばならない。
 
 ラジオはテレビのように映像が無く言葉であるから自分の最高適切なイメージを描けるのである。“青い空、清らかな水の流れ”も自分のイメージで一番ふさわしい情景を描けるのである。ラジオの中で語る人の色が少なからず影響するから、其処は考慮しなければならない。しかし、そのラジオにしてみてもどんどん流れていくから各自のペースで受け止めることが出来ない。

 ラジオに対して本はどうかと言うと一つ一つの言葉を充分に咀嚼(そしゃく)できるからマイペースで深く読める。でもオレは前にも書いた事があるが、ほとんど本は読まない。たまに読むのは百姓仕事の農機具の取説ぐらいは本当の話である。
 
 本以上に素晴らしいものが実はある事に気がついた。
 それはこの雑感である。人のまねで無く、日常生きるなりわいの中で心に引っ掛かったり、なにかが閃き、それを心の中をコロコロころがしていると文章が出来上がるのである。
 神は人間に創造力をお与えになったという創造力を発揮する事が人間として人間たる所以(ゆえん)である。オレは百姓で百の仕事をこなす何でも屋だがこの雑感もオレの創造力の産物である。
 
 だから人がどのように言おうが、何のケチを付けようがゼンゼン気にしないのである。みんな嘘つきの偽善者ばかりだオレほど正直な男はいない。
 要は本も読まずとも自分の中に不思議なものが一杯詰まっているのである。自分が宇宙大に広がるのか?宇宙が自分の中にあるのか?とにかく不思議なものなのである。
 これからも自分の中への探検がオレの遊びであり、リェクレーションなのである。
 白隠のメッセージ 2014/01/02
 新年明けましてお目出度くない!
 只々人間の愚かさが際立ってきた今日この頃である。
 “馬鹿丸出しの自由自在心”という立ち位置に身をおいて、雑感を書き始め早七年、この歳になると人間の愚かさが心の底から解るようになった。
 それを喝破したのが三百数十年前江戸中期、高嶋博士に縁深い白隠禅師である。
 晩年あの迫力のある達磨図が実にユウモアに満ちたものに変わっていった。それは人間の見抜いた心境から描いたものなのだろう。 
 
 白隠は全てを見抜いている。
 「釈迦もイエスも玄奘三蔵も・・・・、私たちも同じだった。自然に排泄し、空腹になれば泣いたであろう。
 童心の童(わらべ)はまるで輝ける”いのち”そのものであった。 しかし、長じるにしたがって、漏れなくヒトには諸欲が出てくる。
 名誉欲・権力欲・支配欲・・・・地位やお金が欲しくなる。他人と比較して、相手に負けたくなくなる。そんな中で、心はコロコロともがき苦しむことになる。
 どうしたら、この苦しみから逃れられるであろうか??・・・・。」 

 政治、経済、学問に係わる人々も一般民衆から世界を牛耳る闇の支配者も只々愚かの極みであり笑っちゃうである。
 それの解決の答えは死ぬことである。馬鹿は死ななきゃ治らない!は街道一の大親分清水次郎長の子分森の石松だが、人間全てに言えることである。
 
 身近な解りやすい例を挙げれば
 この世でたった二人の血を分けた兄妹での事である。

 (お兄ちゃん)妹は気持ちをうちあける友達もいないんで、妹の相談相手になってもらえないだろうか?
 (妹)お兄ちゃんは子供の頃は神童と言われ村では注目の的だったのですが、とうとう結婚も出来ず終いで又人生における本当の自分の仕事に巡り合えず中途半端な人生なのです!と・・・妹も兄を想いやっているのである。

 父親が亡くなり相続の手続きをしなければならない事になり

 (お兄ちゃん)はんこうを押せ!
 それに対して
 (妹)私にも半分頂戴!

 お兄ちゃんにとって妹は人間(生物)の範ちゅう外であり、ある時は一身同体、ある意味この厳寒の寒空から身を守る衣服のようなものであり、又ある時は憎しみの対象なのである。これを愛憎と言い、ほとんど九十九パーセント以上の人間のありようなのである。

<だから、オレは何時も死を考えている。病気で入院し医者のモルモットになり、金儲けの対象になって人間としての誇りも尊厳もなく死ぬなら、世界の悪と戦って死ぬなら、これほど有り難い死に方はない。(オレのホームページを時々米軍がチェックしている)だから何時でも玉砕覚悟の人生である。その事の奥にあるのが命を捨てれば命を得るという天の法を理解出来るからである。白隠は言う。死んで生まれ変われば無垢の童心となり、命がそのまま輝く。だからこの歳になっても“オレの戦う闘志はいささかも衰えず”なのである。>
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