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二人の兄弟の寓話より 2025/03/05
寓話のもっとも重要な部分は以下だろう。 これを二つに分けて説明してみた。 誰も。すべての大宇宙の叡智は、一人ひとりの人間の魂に、永遠に宿っている。魂が創造されたその瞬間から。
大宇宙の叡智の前に、生命の本質は明るく、楽しく、喜んで、嬉しくしょうがない!そんなエネルギーに満ちている。そのようなものではないだろうか。 そして、大宇宙の叡智は人間の本質を現すために誰しもの内側、魂に初めから、この先永遠に宿っている。と言うことに、私は心底から納得する。 私にも、その叡智があるから、この寓話に共感しているのです。
賢人たちはしばしば勿体ぶっているだけで、自分の都合のいいように、大切なことから魂を遠ざけているの」
どこかて、このようなことを聞いたか読んだ記憶がある。 ほんものは難しい話を、やさしく分かりやすく書く。ニセモノは難しい話を、より難しく書く。 前者は愛があるのに対して後者は自己顕示欲でむしろ大切なことから遠ざけているという。
私が尊敬出来る人は名もない農家のお婆さんが無心に草取りをして、大地と一つに溶け込んでいる姿を見たときに不思議な感動する。 またアニメ風の谷のナウシカの一コマである。 「この手を見てくだされ。ジル様と同じ病じゃ。あと半年もすれば石と同じになっちまう。じゃが、わしらの姫様は、この手を好きだと言うてくれる。働き者のきれいな手だと言うてくれましたわい」
大宇宙の叡智は見えないその奥を見ているのだ。 人間、自己満足に生きて『何を探すか さすらう者よ すべてを手にし 新しきを知ることなく 一足ごとに失う者よ』 迷いと苦難の道を歩いて燃え尽きてわびしく残るのは灰だ。他の生命のために自分の命を生かすことこそ真に生きることではないだろうか。 |
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| 寓話 「二人の兄弟」 2025/03/03 いつの時代であったかはまったく重要でないが、一組の夫婦が住んでいた。彼らには長い間子どもができなかった。高齢になってから妻は二人の息子を、双子の男の子、二人の兄弟を産んだ。難産のため、女は二人の子どもを産むと間もなくこの世を去ってしまった。 父は乳母を雇い、子どもたちを慈しみ育み、十四歳になるまで育て上げた。しかし息子たちが十五歳になる年の初めに、父親は死んでしまった。父を葬り、二人の兄弟は深い悲しみの中、部屋に座っていた。二人の双子の兄弟。この世に生まれ落ちたときの三分の時間差が二人を分け、一人が兄、もう一人が弟となった。深い悲しみの沈黙の後に、兄が口を開いた。 「我らの父は、死の床で、人生の叡智を我らに伝えられなかったことを嘆いていた。叡智なくしてどうやって我らは生きていけるだろうか、弟よ?我らの一族は、叡智のない不幸な一族として続いていくのだ。父親から叡智を受け取ることができた者たちが、我らのことを笑うかもしれない」 「悲しむな」弟が兄に言った。「兄さんはしばしば黙想にふけっていることがある、ともすれば時間が、兄さんに黙想の中で叡智を得ることを許すかもしれない。私は兄さんが言うことをなんでもしよう。私は黙想なくとも生きることができる、どうあっても私には生きることが愉しいのだ。私は、一日が始まるときも夕日が沈むときも嬉しいのだ。私はただ生きる、仕事に精を出す。兄さんは、叡智を得るのだ」 「そうしよう」兄は弟に答えた。「ただし、家にいては叡智を探し出すことはできない。誰もここにはそれを残さなかったし、それを我らのもとへ持ってくる者はいない。しかし私は決めた。私は兄である。我ら二人のために、一族が幾久しく続くように、世界にあるすべての叡智を探さなければならないのだ。探し出し、我らの家へと持ち込み、一族の子孫たちと我らにもたらそう。父母から受け継いだ高価な物を持ち出し、それで世界中を、あらゆる国の賢者たちを回ろう。彼らのすべての学問を知り、そして我らが生まれたこの家へ戻ろう」 「長い道のりになるだろう」弟は思いやるように言った。「我らには馬がある、馬と馬車を持って行け。役に立つものは何でも持って行くがいい、道中困ることがないように。私は家に残り、賢人となった兄さんを待っていよう」 兄弟は長い間離ればなれとなった。何年もの月日が流れ、賢者から賢者へ、寺院から寺院へと、東の教え、西、北、そして南の教えまで兄は得た。彼の記憶は大変優れており、鋭い知能ですべてを素早く容易く記憶していった。 |
寓話 「二人の兄弟」 2025/03/03 いつの時代であったかはまったく重要でないが、一組の夫婦が住んでいた。彼らには長い間子どもができなかった。高齢になってから妻は二人の息子を、双子の男の子、二人の兄弟を産んだ。難産のため、女は二人の子どもを産むと間もなくこの世を去ってしまった。
父は乳母を雇い、子どもたちを慈しみ育み、十四歳になるまで育て上げた。しかし息子たちが十五歳になる年の初めに、父親は死んでしまった。父を葬り、二人の兄弟は深い悲しみの中、部屋に座っていた。二人の双子の兄弟。この世に生まれ落ちたときの三分の時間差が二人を分け、一人が兄、もう一人が弟となった。深い悲しみの沈黙の後に、兄が口を開いた。
「我らの父は、死の床で、人生の叡智を我らに伝えられなかったことを嘆いていた。叡智なくしてどうやって我らは生きていけるだろうか、弟よ?我らの一族は、叡智のない不幸な一族として続いていくのだ。父親から叡智を受け取ることができた者たちが、我らのことを笑うかもしれない」
「悲しむな」弟が兄に言った。「兄さんはしばしば黙想にふけっていることがある、ともすれば時間が、兄さんに黙想の中で叡智を得ることを許すかもしれない。私は兄さんが言うことをなんでもしよう。私は黙想なくとも生きることができる、どうあっても私には生きることが愉しいのだ。私は、一日が始まるときも夕日が沈むときも嬉しいのだ。私はただ生きる、仕事に精を出す。兄さんは、叡智を得るのだ」
「そうしよう」兄は弟に答えた。「ただし、家にいては叡智を探し出すことはできない。誰もここにはそれを残さなかったし、それを我らのもとへ持ってくる者はいない。しかし私は決めた。私は兄である。我ら二人のために、一族が幾久しく続くように、世界にあるすべての叡智を探さなければならないのだ。探し出し、我らの家へと持ち込み、一族の子孫たちと我らにもたらそう。父母から受け継いだ高価な物を持ち出し、それで世界中を、あらゆる国の賢者たちを回ろう。彼らのすべての学問を知り、そして我らが生まれたこの家へ戻ろう」
「長い道のりになるだろう」弟は思いやるように言った。「我らには馬がある、馬と馬車を持って行け。役に立つものは何でも持って行くがいい、道中困ることがないように。私は家に残り、賢人となった兄さんを待っていよう」
兄弟は長い間離ればなれとなった。何年もの月日が流れ、賢者から賢者へ、寺院から寺院へと、東の教え、西、北、そして南の教えまで兄は得た。彼の記憶は大変優れており、鋭い知能ですべてを素早く容易く記憶していった。
六十年近くの間、兄は世界を歩き回った。髪も髭も白くなった。探求心あふれる男はくまなく旅して回り、叡智を得た。そして白髪のさすらい人は、人々の間で最も賢明なものとみなされるようになった。弟子たちが彼の後ろに群をなして続いた。彼は求める者たちに惜しみなく叡智を授けた。若者も年寄りも、感嘆しつつ彼に耳を傾けた。そして彼の行く先々で偉大な評判が先を行き、道中の村落には偉大な賢者が到着することが通達された。
栄光の輪の中で、媚びへつらう弟子たちの一群に囲まれながら村へ近づいた。十五歳の若者の頃に離れた、六十年間帰ることのなかった生家のある村へ、白髪の賢者は少しずつ近づいていった。
村の人々はみな、彼を迎えるべく出てきた。そして彼の弟もよく似た白髪をはやし、歓喜して迎えに走り出て、兄弟である賢者の前に頭を垂れた。そして感極まってささやいた。
「賢者の兄よ、私に祝福を。我らの家に入れ、私が長旅の後の兄さんの足を洗ってやろう。我らの家に入るがいい、賢い兄よ、そして休むがいい」
賢者は堂々たる振る舞いで、弟子たちに丘の上に残って出迎えの村人たちからの貢物を受け、賢明なる対話に応じるよう命じた後、弟について家に入った。堂々たる白髪の賢人は、百姓家の広間の一面を占める机の前に腰かけた。弟は暖かい湯で彼の足を洗い始め、兄である賢人の言葉を聞いていた。
賢人は話した。
「私は自分の義務を果たした。偉大な賢人たちの教えを学び、自分の教えも説いた。私は家には長く留まらぬ。他の者たちを教えることが私の運命なのだ。しかし私はお前に、この家に叡智を持ち帰ると約束した。約束を果たすため、私はお前のところに一日いよう。その時間に最高の叡智の真理を、私の弟であるお前に伝えよう。まず第一に、すべての人々は美しい園に暮らさなければならない」
美しい刺繍が施してある清潔な布で足を拭き、すべてが兄に喜ばれるようにとせわしなく動きながら、弟は彼に言った。
「机の上にある果実の味をみるがいい。我が家の園でとれたものだ。兄さんのために私が一番良い実を選んでとったのだ」
果実は様々な種類の素晴らしいもので、賢人は思慮深く味わい、話を続けた。
「地上に生きる人間一人ひとりが、自分で先祖の木を育てなければならない。死ねば、その木が彼の子孫たちによい思い出として残るのだ。その木は子孫たちが呼吸するために空気を清めるだろう。我らみなが良い空気で呼吸をしなければならないのだ」
弟は慌てだし、せわしない様子で言った。
「許せ、賢い兄よ、私は窓を開けるのを忘れていた。兄さんに新鮮な空気を吸わせるために」彼はカーテンを開き、窓をいっぱいに開け放ち、言葉を続けた。「そら、二本の杉の木から空気を吸うがいい。兄さんが出発したあの年に私が植えた木だ。苗木のための一つ目の穴は私の鋤(すき)で掘り、二つ目の窪みは、我らが子どもの頃に兄さんが遊んでいた鋤で掘ったのだ」
賢人は思慮深げに二本の木を眺め、それから続けた。
「愛とは、偉大なる意識である。すべての人々が最愛の人と人生を送れるとは限らない。偉大なる叡智がある。誰もが日々、愛に向かって進むべし」
「おお、なんと賢明なのだ、我が兄よ!」弟は叫んだ。「偉大な叡智を兄さんは知った。そして私は兄さんの前にうろたえ、許せ、妻さえも紹介せぬままであった」そして扉の方へ向かって叫んだ。「ばあさんや、どこにおるのだ?私の飯炊きさんや」
「ここにおりますよ」戸口に朗らかな老婆が、湯気の立ったピローグ(ロシアの伝統的なパイ)をのせた皿を持って姿をみせた。「ピローグに手を取られていましたの」
机の上にピローグを置き、朗らかな老婆はおどけて、二人の兄弟の前で右ひざをかがめて滑稽なお辞儀をしてみせた。そして弟、自分の伴侶のそばへ近付き、半ばささやくように話した。しかし兄にもそのささやきは聞こえていた。
「それはそうと、ごめんなさいね、あなた。私はすぐ部屋を失礼するわね。ちょっと横にならなければ」
「何を言っているのだ、だらしないではないか、急に休むなどと言い出して。大事なお客なのだぞ、私の実の兄弟なのだ。それなにお前は…」
「私のせいではありませんよ。目がまわるの、そしてちょっと吐き気もするんですよ」
「おや、いったいどこからそんなものがお前に、働き者の女に訪れるのか」
「もしかしたら、あなたのせいかもしれませんよ、たぶんまた子どもが生まれるんですよ」老婆は立ち去りながら笑って言った。
「我が兄よ、許せ」弟はきまり悪そうに兄に謝った。「叡智の価値を知らぬのだ。彼女はいつも陽気でおった。年をとってなお陽気な女のままでおる」
賢人はより長く思慮にふけっていた。彼の黙想を、子どもたちの声が破った。子どもたちの声を聞き、賢人は言った。
「偉大なる叡智を知ることを、一人ひとりが目指さねばならない。子どもたちを幸せで正直に育てるにはどのようにすべきか」
「話してくれ、賢明なる兄よ、私は子どもや孫たちを幸せにすることを熱望しているのだ。そら、入ってきたぞ、私の騒々しい孫たちが」
六歳に満たない二人の男の子と四歳くらいの女の子が戸口の前に立ち、言い合いをしている。早く子どもらをなだめようと、弟は急ぎ口調で言った。
「お前たち、何があったのか素早く話してみなさい、騒々しいではないか。そして私たちが話をするのを邪魔しないでおくれ」
「あれ」小さい方の男の子が叫んだ、「一人のじいちゃんから、二人のじいちゃんになった。どっちが僕たちのでどっちが違うか、どうやったらわかるの?」
「ほら、こっちが私たちのおじいちゃまよ、わからないの?」
兄弟の弟の方へ、小さな孫娘が駆け寄り、脚へ頬を押し当て髭を引っ張りながら、おしゃべりを始めた。
「おじいちゃま、おじいちゃま、私ひとりでおじいちゃまのところに急いで来たのよ、踊りを覚えたから、みせに来たの。お兄ちゃんたちは私の後について来たんだから。一人はね、おじいちゃまとお絵かきしたいんだって。みて、板とチョークを持って来たわ。もう一人はね、木笛とね、あし笛を持って来たの。おじいちゃまにあし笛を吹いてほしいって、それに木笛も吹いてほしいんだって。おじいちゃま、おじいちゃま、私が一番におじいちゃまのところに行くって決めたの。お兄ちゃんたちにそう言って。お家に帰れって、言って」
「ちがう、僕が初めにお絵かきしようと思って歩いていたんだ。後で兄ちゃんが一緒に行くって決めたんだ、笛を吹きに行くって」薄い板きれを持った男の子が意見した。
「おじいちゃまたち二人で決めてね」孫娘がさえずる。「私たちの中で誰が一番に歩き出したか。私が一番だったって決めてね、じゃないと悔しくてしくしく泣いちゃうわ」
賢人は微笑みと寂しさを込めた目で孫たちをみつめていた。答えを思案しながら、賢人は額のしわを伸ばすようにさすっていたが、何も言わなかった。
弟は気疲れし、間が長引くのを止めた。思案することもなく素早く子どもの手から木笛を取り、言った。
「お前たちに喧嘩するようなことは何もないぞ。さあ踊りなさい、美人さん、私の踊り子さんや。私は踊りに合わせて木笛を吹こう。あし笛で私の小さな音楽家が演奏を助けてくれるのだ。画家よ、お前は音楽の音が奏でるものを描きなさい。それにバレリーナが踊る姿を描くのだよ。いいかい、じゃあ今みんなで一斉に始めるぞ」
弟は木笛で陽気な美しいメロディーを奏でた、そして孫たちはみんな夢中で一斉に彼に続いた、自分の得意なものを繰り出しながら。あし笛で、後の有名な音楽家は偉大なるメロディーに遅れないようについていった。バレリーナのように女の子は飛び跳ね、顔を満面に赤らめ、嬉々として踊りを紡いだ。未来の画家は嬉しそうに絵を描いていた。
賢人は黙っていた。賢人は知ったのだ…。陽気なひとときが終わったとき、彼は立ち上がり語った。
「覚えているか、我が弟よ、父の鑿(のみ)と金槌を。それを私にくれぬか、私は自分の重要な教えを岩に刻みたいのだ。私は出ていく。おそらくもう戻らないだろう。私を引き止めるな、そして待つな」
兄は去った。白髪の賢人は弟子たちを伴って岩へ近づいた。細道がその岩を迂回し、さすらい人らを彼らの生家から遠い果てへと呼び招いていた。昼が過ぎ、夜が訪れた。白髪の賢人は岩を叩き続け、詩を刻んだ。白髪の老人が刻み終え、弟子たちは岩に書いてある詩を読んだ。
『何を探すか さすらう者よ すべてを手にし 新しきを知ることなく 一足ごとに失う者よ』 ,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,
アナスタシアは話し終えて黙り、問いかけるように私の目をみた。”このたとえ話から何かわかったか?”とおそらく思っているのだ。
「アナスタシア、俺がこの寓話から理解したことは、兄が話していた叡智は全部、弟が人生の中で具体的に実現していたということだ。でもわからないのは、誰が弟にこういったすべての叡智を授けたんだ?」
「誰も。すべての大宇宙の叡智は、一人ひとりの人間の魂に、永遠に宿っている。魂が創造されたその瞬間から。賢人たちはしばしば勿体ぶっているだけで、自分の都合のいいように、大切なことから魂を遠ざけているの」
「大切なことから?じゃあ大切なことって、どこにあるんだ?」 |
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死に値する大罪 2025/03/03
このMさんは大した人物で、ある有名な精神世界の出版本に、深く係わっている人で写真家でもある。私のことを第三の神様ごとと言われたのです。第一第二は本の出版ですが、多分、私のことは、宗教スピチュアルを具体化した、いわゆる地上天国実現を目指すということのようです。彼女の最終目標とのお考えかも知れません。
そして私自身も時間の経過とともに、彼女こそ私の最強の協力者と思うようになった矢先の出来事でした。でも、ある意味想定内だったのです。
どんな人にも、習慣の想いというか、カルマと言う業があります。
一言で言いますと、言葉欲と申しましょうか、この人のスピチュアルは、日本語の一文字一文字に深い意味があるという、難解な分野なのてす。そのせいか、彼女とのやり取りの言葉を引用すると、途端にそれは私の言葉で、私に断りなく、勝手に使ったとお叱りを受けるのてす。
例えば、美は細部に宿るとか、火と水(ヒとミ)合わせて神(カミ)など、およそ知っていることで、今さら聞いても感動するようなことではないのてすが?
その時、このままではオレは文章を書けないことになってしまうと心配したものです。それからこの方はクリエーターなので、とかく著作権に厳正そのもの、まあ、それは良しとしても、文章に人のことを書くには、相手の許可をとらなければいけないと言うのです。もちろん仮名にしていますが、とにかく厳しいのてす。
これでは、十数年続けて来た百姓雑感は辞めなければならないと思ったのです。
ブログは人と人との出会いの中で生まれるもので、喜怒哀楽の人生物語の記録だと言うのに、オレは悩み苦しんだのです。
ここからが重要で、Mさんと私のご縁は、「私のありのままの真実の解放」と「Mさんの厳しい自己規制と、命ある限りこの宇宙の潜象の働きをこの身で実践したいと内側にこもり、私の開放に対して閉ざす姿勢」真逆の生き方の出会いによる深い意味を感じるのである。
Mさんが私をたずね来て、家族の深い問題を初対面の私に話したことは、彼女の中での必死の問題解決の答え探しを初対面から感じていたのである。
このMさんの生き方には欺瞞を感じていました。それはアナスタシアのメッセージ、プライドは死に値する大罪。プライド、自尊心、誇り、驕り、傲慢、独善的切り捨て(人間は誰しも自分が一番正しいと思っている生き物)そこに落ち込んでいることを私の直観が感じたのである。
この後、もっと核心に迫る話を次回したいと思っています。
<これを読んでいる人たちよ、これは貴方に対するメッセージであることを噛みしめて頂きたい> |
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宇宙愛の働き 2025/03/03
これから来るという時代はより神に近づく五次元、宇宙、法則の時代かも知れない。法則とは一切妥協無い冷厳冷徹なものの反面、その法則を曲げて許す、愛と言うか仏様の慈悲のようなものがあるようだ。その愛とか慈悲はどのような形で我々に作用しているのだろうか。
私は困ったことや、壁にぶつかった時には、「なるようになれば良い」と先ずはあるがままに受け入れる。それは自然に委ねることだと思う。
一方私を訪ねて来る人に、当面の要件では無い、何か潜在している問題の解決を相談したいのだなと感じることがある。今回のMさんの場合は特にそれを感じたのです。多分当人も分かっていなくて無意識なのだろう。
この、「なるようになれば良い」と相談者の無意識に潜在している問題の解決を願う心の葛藤に手が差し伸べられる働きがあるのだろう。
それが宇宙の愛、神仏の働きなのかもしれない。
半年前に、Mさんとの間に、これとまったく同じことが起きたのである。
ある日切々たる思いのメールが届いた。具体性のない個人的な見学はお受けしていないのだが、このMさんのメールは無視できなかった。
そして、後日母親との訪問であった。複合発酵の見学とお話は別にして、私に個人的な家族に係わる外には出せないことをお話しなされたのである。
何故初対面の私にそのようなことを話されたのか判断に窮した。そして、たどり着いたのが前述の考えである。
この話をする前に、皆さんすべて一人残らず問題を抱えています。それが人間なのです。霊が止まるところ(霊 ヒ が 止 ト) ところそれが人であり、今は人になっていない間、つまり中途半端な人間ということです。
その人の抱えている問題の原因はその人の考え方、長い生命転生の習慣の想いがカルマとなってこびり付いてその人の運命を作っていることなのです。
分かりやすく具体的に言えば、私は解放しながら同時に奥(真理)を探究してゆく生き方に対して、この方はガードを固めながら一方今の矛盾した世の中を何とかしたいとの思いで身体に鞭うって頑張っているのです。この二人が縁づけられたのは天の意志を感じるのです。
そして、この方の専門分野で、私の人類救済科学普及のお手伝いをするということになったわけです。するとこの方の潜在している固定観念のようなものが次々表面化してきたのです。 |
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真実と個人情報 2025/03/02
私の雑感はひらめきの中で創作しています。雑感の巻頭にその趣旨は書かれています。どのようなことが起きても覚悟しています。
また、情報の海に漕ぎ出す者は障害が心配なら一切手を出さないことです。今まで色々ありましたが、すべて良し!です。
ブログという人間社会の人生物語は人との関わりです。これを無くしてあり得ません。要は誹謗中傷の悪意か、善意のメッセージかです。
昨今は闇の社会システムによってすべて覆い隠すようにできていて、個々人もそれが当たり前のようにマインドコントロールされています。
それを打破しなければなりません。何も私から働きかけてお節介しているわけでなく、来る人拒まず、縁ある人にだけ私の渾身のメッセージを投げかけているのです。
以下のMさんも同様です。
以下はMさんより
柳田さんが自分の事でありのままさらけ出す分には構いませんが、望まない人にとっては、ネット上に公開する事が、ある種、暴力にもなり得る事。
また、記事を削除しても、ある程度、時間が経過したものは、誰かがコピーをしている可能性もあります。また、ホームページを定期的に自動保存して、勝手にアーカイブにまとめていくサイトもあります…。最近ではデジタル・タトゥーともいいますが、一度公開したものは、拡散されると完全には消せない世界でもある事。
だからこそ、何でもありのままだけでは危険で、覚悟の精神はお持ちであっても、相手を思いやる氣持ちも併せ持たないと、せっかく素晴らしい技術を広めようとしても、自分の言動が足を引っ張る事にもなりかねない事を、老婆心ながら最後にお伝えしたいです。
助言ありがとうございます。しかし、すべて日々起こることは必然と言います。今回のMさんとの出来事も必然です。ある日Mさんが訪ねてきてから今日に続いています。この必然とは良いも悪いも無い、起こるべくして起こったのです。それは宇宙の法則ともいえます。だとするとその深い意味を探り出さなければなりません。
私はMさんにお会いしたときにそれらしきものを感じていました。どこかでお伝えしなければならないときが来ると思っていました。
実際問題ブログを、これほど長く続けている人は、そうはいないと思います。結果として目に余る脅迫や誹謗中傷は無かったです。あったとしても些細なことでしょう。全ては真実ありのままに恐れをなしているのかも?何か目に見えないものに守られているのかも知れません。 |
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お詫びします。お許しください 2025/03/01
申しわけなかった御免なさい、お詫びします。お許しくださいと謝罪して、(とりあえず非表示にした)更にラインメールで今後は○○さんの生き方を尊重します。とやっても一向に許してくれないのである。今は完全無視状態である。ブログ、百姓雑感日々如是我聞掲載の一件である。 雑感ブログは、直観的閃きで掲載する場合と、考えて考え抜いて掲載する場合とニ種類ある。
真実、ありのままの真実こそ最強の武器!と十数年、老骨に鞭打ってここまでやって来た。環境浄化と同時進行での、人心の浄化目的の公開ブログである。
長年、お詫びなど一度とやったことは無いオレなのに、相手は一向に許してくれない。 その相手は女性であって、ものすごくプライドが高く聞く耳がない。
この女性だって人間だ。私との絡みで数回失敗し、私に詫びることがあったが、オレは何ごともなかったように、良いよ、良いだよ、と笑って許したものだ。
この女性を仮にMさんとしよう。このMさんとの出会いの本当の意味はここからかもしれない。
人間どうしの会話が成り立たずに、片方が自分の生き方を通すなら、こちらも自分の生き方を通してお互い平行線でも良い。
この公開ブログはそれを訪問する大衆の人生勉強になって頂くことが狙いでもある。 だから百姓雑感如是我聞なのである。 |
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フトマニ 2025/02/18
男のオレはどうしても過激になりがちである。そこに、女性が加わった。 深い叡智を秘めた人で、カタカムナに深くかかわった女性である。 この女性縁の下の力持ちと言って、ご自分を表に出さない人なのです。 これで、体制は整った。 体制とは何の体制かと言えば「人類救済の体制である」
以下 ここでカタカムナの話を出して恐縮ですが、フトマニ(正反対向発生)という言葉があります。
フ(カム:潜象界と、アマ:現象界が) ト(統合、重合して) マ(間に) ニ(定着します)
という意味になります。
正と反の対向が繰り返される事(フトマニ)で、宇宙の万象万物も、いのちも発生するという事を云っています。 では、正とは?反とは?ですが、 正はサヌキ(男性性、思考性、判断能力、左脳、右回り…) 反とはアワ(女性性、感受性、右脳、直観力、左回り…) を指します。 この正反のチカラのフトマニによって、あらゆる生命活動が発生していくのです。
話を元に戻すと、様々な違いのある柳田さんと私だからこそ、フトマニによって面白いものが生まれているのだなと思っています。 先日、カタカムナの「正反によるフトマニ」について記しましたが、実はこの話にはさらに奥があります。せっかくなので、書かせていただくと、 正の中には反が、反の中には正が入れ子状態になっています。
例えば、現象としての右巻きの渦(エネルギーの回転方向)の中には、潜在的に(目には見えませんが)左巻きの渦が潜んでいます。その逆も然り。←この渦の組み合わせ方によって、様々なものが発生、誕生しています。
男女といった場合も、男性の中には潜在的に女性性や感受性、直観力などがあるように、女性の中にも思考性、判断力、行動力が潜んでいます。 そのカサ(差)によって、現象となって現れています。 細胞のようなミクロの世界に、宇宙と似た形を見出すように、 複雑な山の稜線の一部を抜き出して拡大しても、同じパターンになっていたり、また手前の河川の流れ方までが似ていたり…
すべては「相似象」(似たパターンで形成されている、フラクタルだ)という事を、上古代の日本人は感受し、八十首のウタにして語り継いできました。それがカタカムナです。 |
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ライン川 2025/02/13
この数年間ホームページ更新する気になれなかった。しかし、その間はライングループを多数作って活動して来た。その名称は一様に「あうんパラダイスプロジェクト何々」略してあうんPP何々だった。これが、面白いのである。 なぜか、今この瞬間、この瞬間にこそすべてがあリ、生きた言葉のやり取りだからである。スマホを通じての大家族みたいだ。
このライン川に一石を投じるといろんな音が帰ってくる。一つの閃きの言葉を紡いでメッセージを送ると、その中から人生物語が生まれる。今日もライン川に、石ころを投げた。
今回の新ホームページ郷の「環境人道支援で日本の河川の浄化をやります」とのメッセージをラインに投稿しても無反応なのである。 そこで、続いて以下のメッセージを投げかけた。
皆さんお元気ですか!(アントニオ猪木のあれ!)
私がメッセージを投稿しても、何の反応も無い、眠ったままの皆さんにお贈りします。
♪ねんねんコロナよ、お怒ろりよ坊やのカアチャン何処いった〜
坊やも嬢ちゃんも安心して、眠んねしな(^ー^)
するとリアクションマークがづらり |
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泣く! 2025/02/12
柳田さんと出会って、「実践の大切さ」を痛感しました。
そのお蔭で、「閃き、即実行」の実践中ではありますが、思わぬタイミングや人とのご縁、再会や別れ、仕事の依頼や問い合わせなどがこれまで以上に起こり、人生の展開するスピードが加速していっています。
これまでは一見すると脈絡のないように思えたものごとも、無駄な事は何も無かった!とわかってきて、それらすべてが集約していっているのを最近感じています。 自分に訪れた人やもの、出来事(それがたとえ最悪なものであっても)に、常に全力で当たりたい。
先日、柳田さんのメールに「復活」という言葉がありましたが、昔、ある方から言われたのを思い出しました。
「あなたは、棺桶に片足を突っ込んでいるような人を生き返らせる人だ」 と。
棺桶は比喩でしょうが…
以下は私(柳田).........................
実際この人は、三人の神様ごとに縁を頂いたと言い、縁の下の力持ちという立場で、一人は成就させ、あの世送り出したそうだ。二人目は、一度は筆を折った難しい本を出版するために、この人の支えによって、今は最終の追い込みにかかっていているそうだ。二人目は私よりかなり高齢で、風前の灯火か明日はいずこの空の下のように感じていたが、今は元気になられ頑張っているそうだ。いずれも日本人のルーツ、精神の柱を解いたかなり難しい本のようである。
その後の三人目が私なのだそうだ。私のことは、その後の人生をこのホームページ雑感が語ってくれるだろう。
そして、このように言われている。 復活を私に予言してくださった方は、もうこの世にいませんが、郷のホームページの土台造りが一先ず完成し、眠っていた柳田さんが再び動き出すその背中を押せたのなら、またよいご報告ができるなと思っています。
私はこの人に言った。
私をあまり泣かさないでください! |
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川の浄化 2025/02/10
以下のラインメールが来ました。
公の河川に、柳田さんが設置していくっていうことでしょうか? 一度具体的なお話しを伺いたいです??
河川の浄化は情報の力で、如何様にもなると思っています。来られたなら、私の考えを説明します。 このグループでプロジェクト組みますか ? ざっくり方法を言うなら、問い合わせあった人の内容を聞いて、その本気度、その状況から、何々川浄化プロジェクトのようなものを現地の人たちと立ち上げます。そして、その進捗状況を逐次ホームページで発信します。
最近あうんが動いてきましたので、資金的に1台ずつなら行けると思っています。 無から有を生む!考え次第で、いかようにもなり、世の中に風を起こすことです。
ホームページにうたったように、火と水 カとミ 合わせてカミつまり神なのです。カとミの神が風を呼び起こします。 今回の「あうんの郷」が水のホームページ「あうんの会」が火のホームページ、この双方のホームページの情報の力で風を起こすのです。 つまり、大都会のガラクタを片付けて命のフィールドあうんの郷を創造するのです。その具体的方法が地球人類80億の排泄物をエナジー水に変えることなのです。
神が働くのです。 最近はトランプ大統領から神と言う言葉が多発して、YouTuberでは地球が五次元に移行していると言われています。日本人のルーツ縄文人の神、多神教、自然崇拝の時代が始まるのです。 今の文明は、分裂の火の科学です。これを、融合の水の科学に大転換するときなのです。
私がラインで柳田大明神と名乗っていたのは、これをやる事に決まっていたからなのです。はじめに言葉ありき。言葉は神と共にあり、言葉は神であった。 |
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長い間、死んだふりしてごめんなさい 2025/02/09
以下メルマガ あうんの会、柳田です。 あうんの会として、十数年活動して来ましたが、ここに新たなステージへの活動をスタートしました。 / それは、日本の故郷を取り戻す活動です。そのための新ページ「あうんの郷」を開設しました。以前の「あうんの会」はそのままにして、双方をリンクしました。
「あうんの会」は、家庭からの複合発酵、「あうんの郷」は環境人道支援として河川の浄化を推進します。日本の河川の状況は絶望的です。
長年複合発酵に係わってきて、「あうん単独槽」が驚異的な能力を発揮するようになりました。これを、なんとか世の中にお知らせすると同時に、日本の故郷を取り戻したいとの思いからの、新ホームページ開設です。
これは、ビジネスで無く、おおやけの河川ですので、柳田ファームからの無料提供です。どこまで出来るかわかりませんが、一歩足を踏み出す決心をしました。 aunnosato.com
以下反響 柳田さん、あうんの郷のホームページを隅から隅まで読ませて頂きました。写真から文章から、考え方から、全て素晴らしいホームページですね。柳田さんのお人柄までが受け取れて感動いたしました。 ワクワクして来ます。 あまりに素敵だったので、感想をメールしてしまいました。 益々のご活躍をお祈りし、楽しみにしております。私も、全国の河川プロジェクトに参加希望するべく、思考から呼び寄せたいです。 あうんの郷のスタート本当に、おめでとうございます。 ○○○○
以下お礼メール ○○○○さん 長い間、死んだふりしてごめんなさい。 今日から復活です。 柳田大明神
<人生いろいろあり、死んだふりするときもある。オレは熱湯風呂のカエルではない、時には死んだふりするカエルだ。捲土重来を期し必ずや反撃の時を待つ> |
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以下は非表示にしてあったものだ。頃合いをみて表示にするも又良し!
いくら頑張ってきても、騙しの中では、空しさだけが残る。空しさの感情が分かるだろうか。私は人間が出来ていないから、自分の感情をコントロールできない。
人の性癖をあげつらうことは醜いことではあるが、今の混乱した感情をを静めるに、出るに任せてとりとめのない文章を書き綴ってみることにした。
今後残された人生どうすれば良いかの答え探しになれば良い。
(8月28日)
少しずつ心が定まってきた。 この達磨画像付き雑感は高嶋博士に読んでいただくためであり、その後に博士への面会のための布石である。
(9月05日)
私は高嶋科学を出会ったときから、人類救済科学と位置づけて来た。言うからには実現可能な具体的なビジョンを示さなければならない。それを9月5日の“一番重要な人間の排泄物”で示した。 伊達に四半世紀やってきたわけでない、具体的な対案を出した奴がいるか! -----------------------------------------------------------------------------------------
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